金与正と共に二人三脚、正恩の実兄でクラプトン好き「金正哲」が超重要ポストへ

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金正恩に命乞いをした過去も

 表舞台に登場することはほとんどなく、出てきても影武者説が報じられる金正恩に代わって、妹・金与正に脚光が集まる北朝鮮情勢。「彼女はすでに軍と党を掌握する過程を終えている」と指摘するのは脱北した北朝鮮専門家の金興光氏。一方で、金正恩の実兄・金正哲の存在もまたクローズアップされてきたという。静かに緩慢とではあるものの、政権の一翼を担うべく、一度は失脚した男が再び表舞台に登場しつつある。

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 金与正(32)の韓国への挑発が続く中、北朝鮮の現職高位幹部から非常に重要な情報が私のもとに舞い込んだ。

《実兄・金正哲(キン・ジョンチョル)が登場》

 金正恩(36)と金与正の実兄である金正哲(38)が、6月7日に開催された「党中央委員会」第7期13次政治局会議で、「党中央委員会候補委員」に選ばれたという。

 新たに任命された党中央委員会政治局候補委員リストに、「金正哲」の名前も上げられていた。しかし、北朝鮮が放映した国会の動画を詳しく見てみても、若く目立つ幹部は、それこそ金与正しか確認できなかった。

 情報源である北朝鮮の高位幹部は同時に、「金正哲が4月末から、中央党組織指導部内に新設された『行政指導課長』を務めていること」も知らせてきた。

 今回、中央党組織指導部内に新設された行政指導課には、金正恩の叔父・張成沢(チャン・ソンテク)が処刑される直前まで籍を置いていた。処刑後、金正恩はこれを解散しているのだが、復活した部署で金正哲が担当するのは、「軍隊を除いた権力組織を統制する部署」で、保衛、社会的安全性、労働緯群、司法検察機関が、これに該当する。

 特筆すべきは、張成沢の時よりも強大な権限と裁量権を与えられたという点だ。そして、中央党組織指導部の行政指導課が突如として“復活”したのは、金正哲の“再登場”にタイミングを合わせたと見るべきだろう。

 これを裏返せば、北朝鮮で極秘に、本格的な権力移譲や権力の再編が進んでいることになる。金正哲がこの時期、北朝鮮の権力の核心部に登場したのはなぜか? 金正恩と違って、一気に権力の頂きにのぼらなかったのはなぜか? それらを考察することで、「白頭血統」の3兄弟が金氏王朝を守るために、どのよう計略を練っているかが理解できるはずだ。

 金正哲は1981年9月25日、金正日と高容姫(コ・ヨンヒ 在日帰国者)の間に長男として生まれた。1996年にスイスの首都にあるベルン国際学校に、パク・チョルという名前で留学し、1998年に北朝鮮に戻った。帰国後の金正哲は同じく留学後に党の要職を務めた妹・金与正とは異なり、権力から完全に排除されたことが分かっている。

 2017年2月、韓国・国家情報院は金正哲が自身の生存のため、金正恩に「半人前の私を深く大きな愛で見守ってくださった」と誓いの文書をしたためたと発表している。

 実は2004年の脱北当時、私が目撃したのは、朝鮮中央党の主要部署ごとに「金正哲同志の事業体系を立てよう」という標語が掲げられた光景だ。幹部のほとんどは、金正哲が金正日の後継者と疑いもしなかった。

 しかし、2009年に金正日が後継者に確定したのは、異母兄を含めて3男の金正恩だった。意外な決定だった。金正日の3人の子供が成長する過程をそばで見守った日本人シェフの藤本健二氏(金正日の元・専属料理人)は、金正日がいつも金正哲を指して「女の子のようだ、性格が優しすぎる」と心配をしていたと言っている。

 他の情報でも、金正哲はたくましい体を作るためにステロイド剤を服用した結果、女性ホルモンの過剰分泌症状で胸が出てくるなどの副作用を経験したことなどもわかっている。この行為は、父である金正日の期待に応えようとした行動の1つのようだ。

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