PCR検査はやみくもに増やせばいいわけではない コロナ第2波に備えるための課題

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「11年前の教訓放置 組織防衛優先、危機対応阻む」

 6月9日付日本経済新聞は「日本のPCR検査体制の整備がなぜ遅れたか」についての詳細な分析記事を1面トップで報じた。

 この記事に代表されるように、日本では「PCR検査体制の未整備」=「新型コロナウイルス対策の失敗」という構図が定着している感が強いが、はたしてそうだろうか。

 これについて真っ向から反論しているのは、以前のコラムで紹介した日本のクラスター戦略の生みの親、押谷仁・東北大学教授である。

 このところメディアでの登場が少なくなった押谷氏だが、外交専門誌『外交』Vol.61に掲載された「感染症対策『森を見る』思考を――何が日本と欧米を分けたのか」と題するインタビュー記事で現時点までの中間総括的な見解を述べている。

 その中で押谷氏は、各国のデータ分析から導き出された興味深い事実を紹介している。

 その事実とは、新型コロナウイルス感染者の約8割が、他の人に感染させていない一方、残りの2割の人たちが多くの人々に感染させる、いわゆる「スーパー・スプレッダー」になっているということである。

 このことは感染者に接触した人の陽性率の平均値が低いことを意味しており、感染者全員を捕捉しなくても、1人の感染者が多くの人に感染させることで生じるクラスターさえ抑え込めば、ほとんどの感染連鎖は消滅していくということになる。

 このような新型コロナウイルスの特徴を踏まえた日本の戦略は、「森を見て全体像を把握する」ことである。平たく言えば、「小さな感染はある程度見落としたとしても、クラスターの発生だけは絶対に見逃さない」という方針である。これが功を奏して、これまでのところ日本では欧米のような感染爆発が起きていないというわけである。

 これに対し、欧米諸国の戦略は「木を見る」という手法である。

 欧米では、政治家のみならず見識のある学者の中にも新型コロナウイルス対策を戦争のメタファーで語る人が多いが、彼らの発想の根本には「悪しきものを徹底的に殲滅する」というイメージがある。

 欧米の医療関係者は、感染者周辺の接触者を徹底的に検査し、新たな感染者を見つけ出してウイルスを一つ一つ「叩く」ことに力を入れてきたが、押谷氏は「このやり方は非効率な消耗戦を招いてしまった」という評価を下している。

 押谷氏が率いる政府の専門家会議のクラスター対策班が、クラスター分析の成果を世界保健機関(WHO)に伝えたところ、WHOからも高い評価を得ている。押谷氏は「日本は今回の経験で、さまざまなノウハウを蓄積しており、これらを積極的に提供することで世界に対して貢献することができる」と語っているが、日本でももっと評価されてもよいのではないだろうか。

 特に印象的だったのは「PCR検査の抑制方針は、過去のインフルエンザ流行の経験から導き出された対応である」と押谷氏が言い切っていることである。

 2009年の新型インフルエンザが流行した際、検査目的で多くの人が発熱外来に押し寄せ、何時間も待たされた上、待合室が「3密」化したという経験があった。このことから日本の臨床現場では「無秩序な検査はかえって状況を悪化させる」という認識がある程度共有されていたという。

 PCR検査はけっして万能ではない。検体の採取が難しいのにもかかわらず、正確性もそれほど高くないからである。

 米ジョンズ・ホプキンス大学によれば、PCR検査は発症から3日後に行うのが最も正確な結果が出る。発症前は体内のウイルス量が少ないことから、陽性が陰性と誤って判断されることが少なくない。

 新型コロナウイルスが感染する期間について、WHOは6月9日、「初期症状が現れる時期にウイルスの感染力が最も高い」とする見解を示している。

 問題となっている無症状感染者からの感染リスクについては、「無症状の人から感染するケースは稀であり、症状のある人だけを追跡して接触者を隔離すれば、感染数は劇的に減らすことができる」とする見解もあるが、反論もある。

 このようにPCR検査をやみくもに増やせば良いものではないのである。

「新型コロナウイルスを根絶できるのか」という質問に対して、PCR検査の正確性の問題を脇に置いた上で、押谷氏は「すべての日本国民に対して二週間、毎日PCR検査を受けさせて調べるしかない」としているが、素人がちょっと考えただけでも非現実的な選択肢であることがわかる。

 そして最後に押谷氏は「社会のあり方を変えていかなければならない」と結んでいるが、筆者はこれこそ第2波に備えた対策の要であると考えている。

 日本でも唾液を検体にしたPCR検査手法が確立されるなど今後の検査体制が拡充されることが予想され、その結果大量の無症状感染者が発生することになるが、これに対する備えはあるのだろうか。

 陽性と分かった以上何らかの措置を講じなければならないが、彼らを長期にわたって隔離して経過観察するためのスペースの確保などはほとんど手つかずのままである。

 さらに問題なのは、国民の意識である。

 感染者や医療従事者を地域社会から排除したりする現状を見るにつけ、大量に発生した無症状感染者は、経過観察後も長期にわたって排除される存在になってしまう恐れがある。

 感染症に対する社会の不寛容さを是正することこそ、感染第2波に備えるための喫緊の課題なのではないだろうか。

 ハンセン病患者に対する長年にわたる偏見・差別の歴史を抱える日本は、二度とこのような過ちを繰り返してはならないのである。

藤和彦
経済産業研究所上席研究員。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)、2016年より現職。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年6月16日掲載

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