ソーシャル・ディスタンスの危険な副作用 コロナ禍で考える“触覚の重要性”

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「深刻なパンデミックも大規模な崩壊の原因となる。一つのウイルスが人口の99パーセントを殺す必要がなく、低いパーセンテージだけで十分である」

 これは2015年にフランス語圏で出版された『崩壊学 人類が直面している脅威の実態』(草思社)の一節である(日本語版は2019年8月に出版された)。

 崩壊学(コラプソロジー)という聞き慣れない言葉は、ラテン語の「コラプス(一かたまりで墜ちる)」に由来する著者(生態学を専門とするパブロ・セルヴィーニュ氏ら)の造語である。彼らは、「崩壊とはどのようなもので、何が引き金となり、結果として私たちにどのような心理的、社会的、政治的な影響を与えるか」を幅広い視点から分析しているが、その大元にあるのは「現在の世界システムが臨界点を超えてしまったのではないか」という危機意識である。

 世界システム全体に幅広く「ロック・イン現象」が生じているからである。

 ロック・イン現象とは、在来型システムがその効率性故に他のシステムを駆逐してしまうことで、結果的にそのシステム自体の効率化が低下し、内部・外部の小さな混乱に対して極めて脆弱になり、全体的な崩壊が起きるリスクが高まっている状態を指している。

 崩壊という現象は、経済・金融レベルから安全保障、政治社会、さらには文化レベルに至るまで幅広い段階で生ずるとされているが、システムが破局の危機にあるかどうかを判断するには、「小さなトラブルの回復に要する時間が次第に長くなるという特徴に注目すべきである」とセルヴィーニュ氏らは指摘している。

 経済の面では、2008年のリーマンショック後の世界経済は世界の中央銀行等が未曾有の規模で支援したのにもかかわらず、その後の回復は思わしくない。金融に過度に依存した経済成長モデルもリーマンショック以前のままである。国際的な金融システムは、債務がさらなる債務で返還するという悪循環に陥っている。

 安全保障の面では、このところ米中という2大国の確執が深まるばかりである。

 政治社会の面では、各国で経済格差が広がる一方であり、ポピュリズムが台頭するなど民主主義が危機に瀕していると言われ始めている。

 崩壊の条件には内因性と外因性の2種類あるという。内因性とは経済、政治、社会秩序の不安定化など社会そのものから生じる原因のことであり、外因性とは地震や外国からの侵略など外部からの破壊的な出来事のことである。内因性は崩壊の前提条件となることが多く、外因性は崩壊の引き金になるとしている。

 新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)は、システムの崩壊を招きかねない外因性の一つの要因と捉えることができるわけだが、これにより世界システムに内包されてきた矛盾が一気に吹き出した感が否めない。

 経済の面では、パンデミックによって世界中のヒト・モノ・カネの流れが急停止したことで、不動産バブルの崩壊や財務体質が良くないゾンビ企業の大量倒産の懸念が浮上しており、リーマンショック以上の危機が起きても不思議ではない状況となっている。

 安全保障面では、以前のコラムでも紹介したように、パンデミックの責任を巡って米中両国が激しく対立し、軍事衝突のリスクまで生じている。

 政治社会の面では、米国の暴動や中国による少数民族の弾圧などがすぐに思い浮かぶが、その背景にあるのは著しく広がった格差の構造である。

 セルヴィーニュ氏らは「政治の崩壊が発生するのは『政治家階級』が合法性と正当性を失うときである。階級差の激しい社会は崩壊を免れにくい」と指摘する。緩衝作用に恵まれたエリート層は喫緊の大惨事にもかかわらずこれまで通りの生活を維持できることから、足元で起きつつある崩壊の予兆に気づきにくいからである。

 セルヴィーニュ氏らはさらに「システム崩壊の根源的な要因は信頼の失墜にある」と主張しているが、筆者は「パンデミック対策の一環で広く採用されたソーシャル・ディスタンスに危険な副作用があるのではないか」と危惧している。

 新型コロナウイルス感染を恐れ、人々が接触を避けていると、「人に触れたくない」という思いはパンデミック収束後もトラウマのように残り、「新常態」になってしまう可能性がある。しかし人々の間で信頼性が醸成されるためには触覚によるコミュニケーションが不可欠であることはあまり知られていない。

 人の生殖細胞は成長の過程で「内胚葉」「中胚葉」「外胚葉」に分かれ、外胚葉からさらに皮膚と脳が分化する。触覚は早期から発達し、特に手や唇に関しては加齢による変化の影響が少なく、視覚や聴覚と同様、外からの刺激が人間の理性を司る大脳新皮質にダイレクトに入る仕組みになっている。

 実験によれば、触覚のコミュニケーションのみが「信頼」関係を築くことができることがわかっている。視覚や聴覚によるコミュケーションではなし得ない芸当である。

『皮膚は「心」を持っていた!』の著者である山口創桜美林大学教授は、長年触覚によるコミュニケーションを研究しているが、米国での暴動について「タッチ不足になれば、幸せホルモンとして注目されているオキシトシンと呼ばれる神経伝達物資が体内で欠乏し、些細なことで切れたり暴れたりすることは十分にありうる」と指摘している。

 このように触覚は人が集団生活を行う上で最も欠かせないものなのである。

 セルヴィーニュ氏らは「不確実性の時代に頼りになるのは直感である」と結論づけているが、触覚の重要性に気づくことが崩壊の危機を脱するために何より必要なことではないだろうか。

藤和彦
経済産業研究所上席研究員。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)、2016年より現職。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年6月15日掲載

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