「ダイナマイト」に「水爆」そして「ダイハード」…球史に輝く“超強力打線”を振り返る!

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 新型コロナウイルスの影響によって、開幕できなったプロ野球だが、ようやく6月19日のスタートに向けて動き出している。野球が恋しいプロ野球ファンにとって、その醍醐味といえば 1点を争う息づまる投手戦もさることながら、やはり華々しく打ち合う打撃戦ではないだろうか。これまでの長いプロ野球の歴史の中には、ユニークなネーミングの打線が数々存在し、ファンを楽しませてきた。今回は、球史に輝く「超強力打線」を振り返ってみよう。

 史上初めて登場したニックネーム付きの打線は、終戦直後の1946年、阪神タイガースの「ダイナマイト打線」だ。初代ミスタータイガース藤村富美男を中心に別当薫、土井垣武、金田正泰などが顔を揃えた打線が破壊力抜群だったことから当時のスポーツ紙が命名したことがその始まりといわれている。

 そして、それから約40年後の1985年、球団創設以来初の日本一に輝いた同じ阪神に「ニューダイナマイト打線」が誕生した。この年の阪神のクリーンナップは打率.350、54本塁打、134打点で三冠王に輝いた3番ランディ・バース、打率.300、40本塁打、108打点の4番掛布雅之、打率.342、35本塁打、101打点の5番岡田彰布の3人。今でも猛虎ファンの間で語り草になっている4月17日、甲子園球場での巨人戦で槙原寛己から奪った「バックスクリーン3連発」に象徴される、球史に残る豪快な打線だった。

 長い球史でもクリーンナップ3人が「30本塁打・100打点」を記録した例は極めて珍しく他にもう1例しかない。それまでの1リーグ制からセ・パ両リーグに分かれた1950年、今でもセ・リーグ記録になっている98勝(35敗4引分)を挙げた松竹ロビンス「水爆打線」の小鶴誠(打率.355、51本塁打、161打点)、岩本義行(打率.319、39本塁打、127打点)、大岡虎雄(打率.281、34本塁打、109打点)の3人だ。

 小鶴らを中心に打ちまくった打線は1試合平均で6.63点を記録。まさに「ダイナマイト」を超える「水爆」の名にふさわしい、すさまじいばかりの破壊力を見せつけた。先の「ニューダイナマイト打線」の1試合平均得点が5.62点だったことと比べても「水爆打線」がいかにすごかったかが分かるだろう。この6.63点に次ぐ5.87点で、「ニューダイナマイト打線」を上回っているのが2003年の福岡ダイエーホークス「ダイハード打線」だ。ちなみに、この年には4年ぶりの日本一に輝いている。

 ダイハードには「不死身」という意味があり、「何点取られても諦めない打線」になってほしいとの願いを込めて当時の高塚孟球団社長が命名、地元福岡を中心に全国に広まった。

 チームの主なメンバーは松中信彦(打率.334、30本塁打、123打点)、城島健司(打率.330、34本塁打、119打点)、井口資仁(打率.340、27本塁打、109打点)、ペドロ・バルデス(打率.311、26本塁打、104打点)など。たしかに錚々たる顔ぶれが揃っており、シーズンのチーム打率はプロ野球記録の.297をマークしている。

 一方、「ダイハード打線」のシーズンチーム打率に次ぐ.294を記録しているのが1999年の横浜ベイスターズ「マシンガン打線」だ。

 これまで見てきた各打線はクリーンナップを中心に大砲が揃い、一発攻勢で試合を決めるパターンだったが、「マシンガン打線」は一度打ち出したら止まらない集中打が特徴だった。そして、その中心となったのが4番ロバート・ローズ。打率.369、37本塁打、153打点で首位打者、打点王に輝きチームを引っ張った。本塁打はローズの他には鈴木尚典の17本、波留敏夫の15本が目につく程度だったが、鈴木尚典が.328、佐伯貴弘が.309、石井琢朗が.292などとレギュラーが軒並み高打率を挙げ、相手チームを悩ませた。

 ちなみに「ダイハード打線」のシーズンチーム打率はDH制のもとでの記録だったのに対して「マシンガン打線」のそれは投手を含めてのもの。野手だけだと打率.303になるというから恐れ入る。しかも、これは日本一になった1998年の翌年の記録で、これだけ打ちまくっても優勝できずに3位に終わっているのだから、いかに投手陣が不甲斐なかったかが分かる。

 これらの打線以外にもイチローも名を連ねたオリックス・ブルーウェーブの「ブルーサンダー打線」(1995~1996年)、今は無き近鉄バファローズの「いてまえ打線」(1980年代~2004年の球団消滅まで)、長嶋茂雄監督(当時、現・終身名誉監督)が命名したといわれる読売ジャイアンツの「史上最強打線」(2004年)、ファンの公募によって決定した日本ハムファイターズの「ビッグバン打線」(1998年~2006年)などファンの記憶に残る強力打線はまだまだある。

「水爆打線」が猛威を振るった時はチーム数の増加で投手が足りず、狭い地方球場での試合も多かった。それ以外の年では、飛ぶボールが採用されたり、逆に投手に有利なストライクゾーンの変更があったりと条件がその時々で異なるだけに、どの打線が一番だとはなかなか決めがたいところがある。それでもファンにしてみれば、これから先どんな打線が現れ、どんなネーミングがされるのか、大いに楽しみであることは間違いないだろう。

清水一利(しみず・かずとし)
1955年生まれ。フリーライター。PR会社勤務を経て、編集プロダクションを主宰。著書に「『東北のハワイ』は、なぜV字回復したのか スパリゾートハワイアンズの奇跡」(集英社新書)「SOS!500人を救え!~3.11石巻市立病院の5日間」(三一書房)など。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年6月9日掲載

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