「横田滋さん」無念の死去、生前に語っていた拉致、心の支えだったアイドル…

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満身創痍でモンゴルへ

 2014年3月には、横田夫妻はめぐみさんの娘であるキム・ウンギョンさんとモンゴル・ウランバートルで初対面を果たした。かねてより、ウンギョンさんとの面会は“北朝鮮に拉致問題の幕引きとして利用されかねない”と批判的に捉えられてきた。

 横田夫妻自身もそのように述べて面会には消極的だったのだが、“電撃面会”が実現した背景には夫妻の“体調”があった。

 早紀江さんはストレスからくる肩の痛みに苦しみ、滋さんの腰も曲がりかけていて歩くのも少しおぼつかず、睡眠時無呼吸症候群の診断も受けていた。当時すでに滋さんは81歳だった。

 そんな状況では飛行機での長距離移動もかなり辛かったはずだ。2006年にアメリカのブッシュ大統領と会談して以来、飛行機での長距離移動はしていなかった。モンゴルでも6時間はかかるが、それを我慢しても行きたいという気持ちが勝ったということなのだろう。

 約40年にも及ぶ長い闘いで支えとなったのは松田聖子の歌声で、CDを聴くだけではなく、動画を鑑賞したりすることもあったという。めぐみさんと年齢が近いことからも思い入れがあったのかもしれない。実際、妻の早紀江さんは3年ほど前にこう明かしている。

「確かに、リラックスしたいとき、主人は聖子さんの歌を聴いたりしています。拉致問題については、その解決法は政治家の方がお考えになることで、私たちは一刻も早く助けてくださいと訴え続けるしかありません。一時期、体調を崩した主人でしたが、ようやく回復してきました。でも、2人とも歳も歳ですし、時間があまり残されていないのです」

週刊新潮WEB取材班

2020年6月6日掲載

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