「不破哲三」夫人が逝去 共産党の“実質トップ”だった素顔

国内 政治

  • ブックマーク

Advertisement

 5月17日、91年の人生をひっそりと閉じた上田七加子(なかこ)氏。日本共産党の前議長・不破哲三氏(90)=本名・上田建二郎=の奥方である。

「長野生まれの七加子さんは、戦後、19歳で共産党に入党。不破氏と出会い、大恋愛の末に結婚して、晩年までおしどり夫婦ぶりは変わらなかったといわれています」(共産党ウォッチャー)

 生涯、党の役職には就かず、一党員として不破氏に寄り添った七加子氏。

 日本共産党にその晩年の様子を尋ねてみても〈お立場は、私人であり、党としてコメントすることはありません〉と、そっけない。

 しかし、

「私人だなんてとんでもない。七加子さんは紛れもなく、共産党の最高実力者でしたよ」

 そう笑って話すのは、元共産党員。

「選挙の遊説でも不破さんの行くところには七加子さんがお供して、商店街の方たちなんかに頭を下げて回っていました。それに、不破さんの演説を赤旗が記事にする際には、事前に七加子さんに見せるんです。彼女が原稿を削ったり書き加えたりして、まったく違う内容の文章になることも」

 七加子氏が特にご執心だったのは東京都委員会。

 元共産党政策委員長の筆坂秀世氏によれば、

「不破さんの地盤でしたから、自分の庭くらいに思っていたのではないでしょうか。あまりに口出しをするので、中国共産党の毛沢東の妻・江青をもじって“ああせい、こうせい”なんて呼ばれていましたね。不破さんにとって彼女の言うことは絶対でした」

 晩年は神奈川・北丹沢の大豪邸で優雅に隠居生活。大往生であった。

週刊新潮 2020年6月4日号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。