中国ベッタリのWHO「テドロス事務局長」は「ブルントラント元事務局長」を見習え

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「サステナブル」概念も提唱

 アメリカのドナルド・トランプ大統領(73)は5月19日、WHO(世界保健機関)のテドロス・アダノム事務局長(55)に書簡を送り、痛烈な批判を行った。BBC(日本語電子版)が同日に配信した記事「トランプ大統領、WHOに最後通告 新型ウイルス対応を批判」は以下のように報じた。

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《書簡の中でトランプ氏は30日間の期限を設け、その間にWHOに「本質的な改善」がみられなければ、何百万人もの命を危険にさらすことになり、アメリカは脱退すると書いている》

《トランプ氏はこの日、WHOは「中国の操り人形だ」と持論を展開。中国が新型ウイルスのアウトブレイクを隠そうとし、WHOも中国の隠ぺいを支援したと非難した》

 ここまではご存知の方も少なくないだろうが、この書簡でトランプ大統領が、WHOの元事務局長を称揚していたことは、あまり日本では報じられていないようだ。

《SARS(重症急性呼吸器症候群)流行の際にWHO事務局長を務めていたグロ・ハーレム・ブルントラント氏のように、テドロス事務局長が動いていれば、「多くの命」が助かったはずだ》

 グロ・ハーレム・ブルントラント元WHO事務局長(81)と言われても、大半の日本人は「誰、その人?」と思うだろう。そもそも性別ですら、あまり知られていないはずだ。

 実は、強いリーダーシップで世界を牽引してきた女性なのだ。テドロス事務局長とは正反対と言っていいだろう。

 なおかつ、トランプ大統領とは本質的に主義・主張は違うはずなのだ。それでも、わざわざ書簡で名前を出したのだから、非常に興味深い。

 まずは彼女の略歴からご紹介しよう。読売新聞は2000年1月3日から連載記事「21世紀への対話」をスタートさせた。「生命科学」や「芸術」などのテーマを設定し、2人の第一人者による対談を掲載したのだ。

 1月5日に掲載された第3回は「国際協力」で、緒方貞子・元国連難民高等弁務官(1927~2019)とブルントラント氏の対談が行われた。

 実は、この2人、共に国連事務総長の候補者として名前を取り沙汰されたという不思議な縁もあるのだが、同紙に掲載されたブルントラント氏の経歴を引用させていただこう。

《ノルウェーの小児科医出身の政治家。1981年に同国で女性初、かつ最年少の首相に就任。98年から現職。60歳。1939年4月20日、オスロ生まれ。幼少時代の一時期を米国、カイロなどで過ごす。オスロ大、米ハーバード大卒。小児科医。74年、ノルウェーの環境相(79年まで)。7つの時から労働党青少年支部メンバーで、81年に同党党首(92年まで)。81年1月、同国初の女性首相に就任(同年10月まで)。最年少首相でもあった。以来、86-89年、90-96年と計約10年間にわたり首相を務める。96年、世代交代促進を理由にノルウェー政界を引退。98年1月、世界保健機関(WHO)執行理事会で事務局長に選出される。同年7月に就任》
(註:改行を省略したほか、全角数字を半角数字に改めるなど、デイリー新潮の表記法に合わせた。以下同)

 新聞などで彼女の名前が報じられる時、「ブルントラント委員会」が言及されることがある。

 これは1984年から1987年まで、国際連合に設置された「環境と開発に関する世界委員会」の委員長を務めたためだ。

 ブルントラント委員会が報告書で「持続可能な開発」を中心理念としたことは、今でも高く評価されている。要するに日本語となった「サステイナブル」産みの母、ということになる。

朝日新聞でも中国を批判

 ブルントラント氏が事務局長を務めたのは98年から2003年だったが、就任早々、その発言を日本のメディアが大きく報道した。

 なぜ“ニュースバリュー”があると判断されたかといえば、彼女がタバコに対して痛烈な批判を行ったからだ。

 ウィキペディアには「タバコは人殺しである」という発言が掲載されているが、他にも「たばこは麻薬と同等に扱うべき」(1999年12月:毎日新聞)、「公衆衛生上の課題としてエイズに匹敵する」(2000年9月:読売新聞)などの主張が紙面を賑わせた。

 それでは、いよいよ本題に入ろう。中国の広東省で最初のSARS症例が確認されたのは2002年11月。だが中国は2003年2月まで発生をWHOに報告しなかった。

 講談社が発行するオンライン雑誌「クーリエ・ジャポン」に、「【検証】WHO「中国寄り」の原点は、SARS禍の“暗闘”にあった」(4月29日配信)という記事が掲載されている。

 筆者は「国際報道2020」(NHK BS1・平日・22:00)の池畑修平キャスター(50)。これまで同誌に合計8本の記事を寄稿している。有料記事のため、ネットに表示される無料の部分から引用させていただく。

《当時、私はWHO本部があるスイス・ジュネーブに駐在していたので、SARS関連の取材に追われた。中国共産党の隠蔽体質が、明らかに事態を悪化させていた。2002年11月、広東省で最初の「原因不明の肺炎」患者が確認されたのだが、それは伏せられた。患者は増え続け、ようやく翌2003年2月になって中国はこの謎の肺炎の事例300以上を公にした》

《当時のグロ・ブルントラントWHO事務局長は、中国を名指しで批判した。

「WHOと国際的な専門家たちが、より早い段階で支援できたほうがよかったのは明確だ。WHO事務局長として言いたい。世界のどこであれ、次に何か新しくて奇異な疾病が察知されたとき、可能な限り早期に我々に関与させるべきだ」

 国連機関のトップが加盟国を公然と批判するのは、稀だ。どの機関も加盟国からの資金拠出で成り立っている。スポンサーの機嫌を損ねるメリットはない。しかし、元ノルウェー首相のブルントラント氏は、あえて中国を批判することが隠蔽を繰り返させない劇薬だと判断したのだ》

 池畑氏は「中国共産党指導部の体面は深く傷ついた」と総括している。タバコに対する発言なども含め、彼女が“歯に衣着せない”タイプなのは間違いないようだ。

 当時の新聞紙面を検索しても、ブルントラント氏の強いトーンの発言が報じられていたことが分かる。

 2003年4月にブルントラント氏は朝日新聞の取材に応じた。インタビュー内容は7日の夕刊に「SARS問題 WHOブルントラント事務局長(プチインタビュー)」との見出しで報じられた。中国に関する厳しい指摘をご覧いだこう。

《「今は政府から十分な協力があるが、もっと早く昨年11月~今年3月の段階で情報を公開してくれれば、ましだった。私たちは発生源を特定するため、専門家の調査団派遣を申し出たが、中国が本当に助けが必要だと分かるまで、あまりに時間がかかり過ぎた」》

中国を“闇討ち”

 当時、日本の厚労相は坂口力・前衆議院議員(86)で、同じ03年4月にジュネーブを訪れて会談を行った。毎日新聞が29日に掲載した「新型肺炎 WHO事務局長、国際協力訴える--坂口厚労相と会談」は全文をご紹介する。

《世界保健機関(WHO)のブルントラント事務局長は28日、ジュネーブを訪問中の日本の坂口力厚生労働相と会談し、SARSについて、「今後、中国の農村地帯に広がった場合、(医療機関など)治療手段の不足で一層深刻な問題になる恐れがある」と懸念を表明し、国際協力の必要性を訴えた》

 今般の新型コロナウイルスでも、中国礼賛に終始したWHOと対照的に、一部の識者は中国の医療格差について懸念を表明していた。ブルントラント氏が現在の事務局長だった場合、中国の農村地帯について言及したはずだ。

 WHOは2003年3月、広東省・香港への渡航自粛勧告を発令した。強硬な姿勢は当時「異例の措置」と評されたが、ブルントラント氏の決然とした態度に関する傍証が報道されている。

 朝日新聞は同年3月15日、「SARS対策、隔離と追跡のみ 尾身茂・WHO事務局長に聞く」の記事を掲載した。

 見出しの人名は、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の副座長などを務める尾身茂氏(70)のことだ。

 記者の《4月2日の渡航延期勧告はWHOの歴史では初めてでした》の質問に、以下のように答えている。

《「香港では感染が病院内にとどまらず地域に広がり、さらに他国に飛び火した例も出てきた。香港ではかなりの経済的打撃が、その時すでにあった。もし渡航延期勧告を出せば、追い打ちをかけることはわかっていた。前例のないことだし、慎重論も含め色々な意見があった」

「けれども、みすみす感染が広がるのを見過ごすわけにはいかない。旅行者による感染の拡大を避け、市民の健康を最大の優先課題とし、最終的にブルントラントWHO事務局長と私で決めた」

「『闇討ちはよくない』と事務局長に進言し、事前に香港、中国には伝えた。香港には私が直接、電話した。香港政庁は『24時間以内に、新しい情報を出すから、それを待って最後の判断をしてほしい』と言って、新しい報告書を出してきた。でも、全体像は覆らなかった」》

 尾身氏が「闇討ちはよくない」と進言したということは、ブルントラント氏は闇討ちでも構わないと考えていたことになる。彼女の毅然とした姿勢が浮かび上がった記事と言えるだろう。

中国にゴマをすった事務局長

 今さら比較する必要もないという向きも少なくないだろうが、中国寄りと批判されているテドロス事務局長とは雲泥の差である。

 日頃は暴言の多いトランプ大統領だが、今回のテドロス批判に限っては正論のようだ。先に紹介した池畑キャスターも「クーリエ・ジャポン」の記事で、

《トランプ氏の言動からは、自らのウイルスに対する初期対応の杜撰さへの批判をかわすためにWHOをスケープゴートにしたい思惑が透けて見える》

 と指摘しながらも、《現在のWHO、正確にいえばテドロス事務局長の言動は、「中国寄り」との誹りは免れない》と断じている。

 更に厳しく断罪した記事もある。ニューズウィーク日本版は5月20日(電子版)、「批判覚悟で中国を称賛 WHO事務局長テドロス・アダノムの苦悩と思惑」との記事を配信した。

 タイトルだけを見ればテドロス事務局長に同情しているようにも見えるが、記事本文は客観的に舞台裏を詳報している。

《1月末、慌ただしい北京訪問からスイスのジュネーブに戻った世界保健機構(WHO)のテドロス事務局長は、中国指導部による新型コロナウイルスへの初期対応をはっきり称賛したいと考えていた。だが、当時の状況を知る関係者によると、テドロス氏は複数の側近からトーンを落とすべきだと進言された。

 習近平国家主席らと会談したテドロス氏は、インフルエンザに似た感染症に関する彼らの知識や、封じ込めに向けた取り組みに感銘を受けた。だがこの時点で、すでに中国では新型コロナウイルスで多数の死者が発生し、国外へも拡散し始めていた。

 関係者によると、側近らはテドロス事務局長に対し、対外的な印象を考慮して、あまり大仰でない文言を使うほうがいいとアドバイスしたという。しかし、事務局長は譲らなかった。1つには、感染拡大への対処において中国側の協力を確保したいとの思惑があった》

 要するにテドロス事務局長は、中国共産党にゴマをすることで、事態の解決を計ろうとしたのだ。それが失敗に終わったことは、何よりも現状が雄弁に物語っている。

週刊新潮WEB取材班

2020年5月26日掲載

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