西武「野村克也」が引退を決めた日、「球界の寝業師」が前言撤回”の非情

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 今年2月11日に84歳でこの世を去った野球解説者の野村克也さん。現役時代には史上二人目の三冠王を達成するなど、輝かしい成績を残した名選手であるがゆえ、球団や指導者と意見が対立することも少なくなかった。今回は現役最終年にみせた野村さんの最後の奮闘を振り返ってみたい。(以下、敬称略)

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 1979年、球団創設1年目の西武は、西鉄時代も含む球団ワーストの開幕から12連敗を喫するなど、最下位に沈んだ。翌80年の前期(当時のパ・リーグは前後期制)も最下位に終わるが、後期はこれまでの惨敗続きが嘘のように、一転優勝争いの主役となる。躍進を続けるチームの中で、大きな“陰の力”になったのが、現役27年目、45歳の捕手・野村克也だった。

 この年、野村は、ルーキー・大石友好に正捕手を奪われて出番が限られていたにもかかわらず、近鉄・西本幸雄監督の推薦で、歴代最多の通算22回目のオールスターに出場した。8月1日の南海戦では、プロ野球史上初の通算3000試合出場の金字塔を達成し、これらの“勲章”を花道に、ユニホームを脱ぐものと思われていた。

 ところが、野村本人は「50歳まで現役を続けたい」とやる気十分だった。9月7日の日本ハム戦で37日ぶりのスタメンマスクをかぶり、松沼博久の女房役を務めた野村は、変幻自在の巧みなリードで、チームの勝利に貢献し、「野村にやられた」と日本ハム・大沢啓二監督を悔しがらせた。

 この結果、西武は首位・日本ハムにゲーム差なし、4厘差の2位と接近し、創設2年目の初Vも現実味を帯びてきた。西武は翌々日の近鉄戦でも代打・大田卓司の劇的なサヨナラ弾で連勝し、奪首に成功する。

 さらに、野村の“奮戦”が続く。16日の南海戦、5試合ぶりに先発出場した野村は、シンカーを有効に使った好リードで松沼兄を2試合連続完投勝利に導いた。打っても、4回1死二、三塁のチャンスに三遊間を真っ二つに破る先制2点タイムリーを放つなど、4打数3安打2打点と大活躍。“球界の寝業師”と呼ばれた西武・根本陸夫監督は「今日は“ノムラデー”です」と、その活躍を喜んだ。

 また、23日のロッテ戦では、松沼兄の弟である松沼雅之とバッテリーを組み、外角高めの釣り球でリー、レオンの3、4番を料理。被安打3でプロ初完封を達成した松沼弟は「苦労? そんなものは何もありません。みんな野村さんのリードに任せました」と“陰の功労者”にエールを贈った。

 チームに広がる“野村効果”と豊富な経験を見込んだ根本監督は、25日の近鉄戦が雨天中止になると、「残り15試合で野村をフル回転させる」と宣言した。これがハマれば、西武は創設2年目で初Vを達成し、野村も現役最晩年に“もうひと花”咲かせることができるはずだった。

 ところが、「至福のシナリオ」は、マジック点灯を狙った28日の阪急戦を境に暗転する。ダブルヘッダーの第1試合、先発・松沼兄が1、2回に計3点を失い、2回も持たずにKOされる大誤算。そして、野村が現役引退を決意する“出来事”が起きた8回裏がやって来た。

 3点を追う西武はこの回、2点を返して、なおも1死満塁のチャンス。犠飛でも同点という絶好の場面で、野村に打順が回ってきた。「タイムリーヒットは無理でも、外野へ犠牲フライを打って最低限の仕事をする自信はあった」と満を持して打席に向かおうとすると、「おーい、野村、代わろう」と根本監督に呼び止められ、左の鈴木葉留彦が代打に送られた。この日の野村は三打数ノーヒットだったとはいえ、それは「野村をフル回転させる」という宣言を根本が自らひっくり返す采配だった。

 やるせない思いでベンチに戻った野村は「打つなよ、絶対に打つなよ」と凡打を願った。すると、まるでその思いが天に通じたかのように、鈴木は二ゴロに倒れ、併殺でスリーアウトチェンジ。野村は「ざまあ見ろ」と内心ほくそ笑み、追い上げムードを断ち切られた西武は、9回に1点を追加され、3対5で敗れた。

 試合終了後、野村は帰宅する車中で「チームが負けることを望むようになったら、おしまいだ」と反省し、引退を決意したという。だが、27年もプレーを続けた選手が自らの引き際を悟ったのは、もちろんそれだけが理由ではない。

 この日の第2試合、野村は7回からマスクをかぶったが、6対6の8回2死、代走・井上修に二盗を許した直後、小林晋哉の左前安打で痛恨の決勝点を許してしまう。「(8回は)ボールが手につかなかった。阪急はいつも走ってくる」のコメントどおり、第1試合では9盗塁も許し、第2試合終盤の3イニングで3盗塁、2試合計12盗塁も許した事実は、嫌でも肩の衰えを認めざるを得なかった。

 守りの要の責任を果たせず、大事な試合でチームを連敗に追い込んでしまったことも、“限界”を感じる要因のひとつになったはずだ。

 西武はここから6連敗を喫し、V戦線から脱落してしまう。連敗明け後の10月4日のロッテ戦が、野村にとって、現役最後の出場となった。シーズン終了後、球団代表と根本監督に引退したい旨を告げると、間髪を入れず「長い間、お疲れ様でした」と返ってきた。この瞬間、27年間の現役生活に終止符が打たれた。

 楽天監督時代の最終年となった2009年も、シーズン2位でクライマックス。シリーズに進出したが、第2ステージで日本ハムに敗れ、「日本一になって勇退」の悲願を断たれた。現役、監督時代のいずれも、ラストシーズンで「最後にもうひと花」が目前で潰えたという点で共通しているのも、“月見草”の野球人生を象徴しているかのようだ。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2019」上・下巻(野球文明叢書)

週刊新潮WEB取材班編集

2020年5月3日