罰則は無くても不利益はある!? 緊急事態宣言下で権利はどう制限されるのか

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 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、緊急事態宣言がなされ全国都道府県知事から次々と「休業要請」が出されている。逆らっても罰則は無いと言われているが、実際はどうなのか。今後ますます私権は制限されるのか。行政法に詳しい作家で元警察大学校主任教授の古野まほろ氏に話を聞いた。

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――いよいよ特別措置法に基づいて緊急事態宣言が出されたが、これに伴う私権制限が行き過ぎだとする意見も多い。そもそも、今回の私権制限とはどのようなものか。

「かなり荒っぽくまとめると、都道府県知事の権限行使によって、

 (1)外出しないことや、それに類した協力が要請される
 (2)多数の人が使用する施設の使用制限や使用停止が要請される/指示される
 (3)イベントの開催制限や開催停止が要請される/指示される

 特にこれらが個人としての私たちに強く関係するが、それ以外にも、事情や職業に応じ、

 (4)臨時の医療施設を開くため、土地・家・物資を使うことに同意を求められる/同意がなくとも使われる
 (5)医薬品・食品・衛生用品・燃料といった物資の生産者とか販売者が、物資の売渡しを要請される/物資を収用される/物資の保管を命令される

といった感じで、権利を制限され、あるいは義務を負う(特措法第45条・第49条・第50条)」

――とりあえずの疑問として、『要請』と『指示』はどう違うのか。

「要請はどこまでもお願いである。要請により何らかの義務を課されることは、ない。

 他方で、指示は指示処分である。お願いを超え、相手方に法律上の義務を課すものだ」

――どう使い分けられるのか。

「まず要請が先。任意に協力してくれれば一件落着。協力してくれなければ指示を出す」

――要請や指示に逆らったらどうなるのか。

「どうもならない。というのも特措法は、逆らったことに対してペナルティを用意してはいないから。むろん『刑罰』というペナルティもないので、極めて具体的に言えば、警察に検挙されたり刑事裁判にかけられたりすることは、ない。

 ただし注意したいのは、要請・指示は出された時点で『公表』されること。言い換えれば、要請等を受けたのが誰かも明らかになること。すると、その人が結局要請等に従ったかどうかも、社会的に明らかになる。これが要請等に逆らう(事実上の)不利益である」

――憲法が保障する人権との関係を危惧する学者も多い。新型コロナウイルス問題に便乗・悪ノリした公権力の暴走で、行き過ぎだと。

「いかに緊急事態とはいえ、居住・移転の自由(移動の自由)、表現の自由(集会の自由)等を制限することには慎重であるべき。そうした意見は理解できるし共感する。公権力の行き過ぎは、市民として常に監視すべきものだ。だが、今般の(改正)特措法なり緊急事態宣言なりが便乗・悪ノリ・行き過ぎであるとは私には思えない。というか、公権力の行き過ぎのみを論じる方は、いささか、考え方が古典的に過ぎるのではないか」

――古典的に過ぎる、というと。

「公権力は市民の権利を抑圧するものだ、という一面しか見ていない点で古典的である。だが現代社会においては、公権力によって市民の権利が守られ、あるいは回復されるという一面もある。というか、そちらの一面がますます大きくなっている」

――例えば。

「いわゆる民事不介入問題。

 平成ひと桁あたりまでは、公権力が……ここでは警察だが……私的領域に介入するのは誤りだと考えられていた。市民は、『警察は来るな』『プライバシーに口出しするな』『余計なことをするな』という意識を強く持っていたし、警察自身もまた、ちょっとでも民事の要素があれば、権限行使をしてはならないという誤解をしていた。

 ところが、令和2年の今はどうか。

 まさに私的領域における、ストーカー事案、児童虐待事案、配偶者からの暴力事案等といった『人身安全関連事案』は、警察にとって最重要課題の1つであり、市民もトップクラスの関心を寄せている。そして例えば、痛ましい児童虐待事案が発覚したとき、必ず市民から『警察がもっと早く介入していたら……』『警察がもっと踏み込んでいたら……』といった声が上がる。それは時として非難・糾弾にさえなる。

 要は、昔は『警察=権力=抑圧者は介入するな!!』というのが常識だったのに、今や『警察=権力=安全装置はキチンと介入しろ!!』というのが常識となってきた、ということ。言い換えれば、『キチンと公権力に働かせることが、市民の権利を保護することにつながる』ということが、市民多数の常識となってきた。そういえる。
 これを今般のコロナ禍に即して言えば、『行政の動きが遅い』『施策が不十分』といった批判が多々あるのは、公権力の迅速・適切な介入に期待する市民が多々いるからだろう」

――公権力には、抑圧者である面と、保護者である面があると。だから前者だけを見て、暴走・行き過ぎといった批判をするのは古典的だと。

「私は元警察官なので、抑圧者という言葉は使いたくないが、内容としてはそう考える」

――なら、公権力の暴走を監視する、という考え方も古典的なのか。

「いや、公権力の監視は憲法上常に必要である。それは私もそう思う。ただそれは、公権力に積極的に必要な仕事をさせることと何ら矛盾しないだろう。むろん暴走されては困るが、同様に、不作為や物理的なパンクも恐い。そして、このコロナ禍においては、実は、物理的パンクの方がもっと恐い……

 そうした意味でも、世に言う『私権制限の危険性』という問題は、もっと現実的・実務的に論じ直される必要があるのではないか、と考える」

――どういうことか。

「今般のコロナ禍についていえば、私権制限に伴う危険性とは、『公権力が暴走する危険性』ではなく、『公権力がパンクする危険性』(=よって市民の権利が適切に守られなくなる危険性)なのだ、と考える。少なくとも、前者より後者の方が圧倒的に現実的である」

――何故、私権制限をすると、公権力がパンクする危険性があるのか。

「例えば、外出自粛の要請や、店舗の営業自粛の要請について考える。

 マスク騒動、ティッシュペーパー騒動、トイレットペーパー騒動、食料買いだめ騒動を踏まえれば、トラブルのネタと種類は無数にある。主体もいろいろある。市民と市民の間のトラブル。市民と公務員の間のトラブル。市民と店舗との間のトラブル……

 行列が雑踏事故になることもあろうし、店員を脅す殴るということもあろうし、街頭における公務員のお願いが紛議に発展することもあろう。はたまた『そもそも外出自粛なのに何しれっと並んでんだテメエ』みたいな話にもなろうし、『何であそこの店は開いてるのにここは閉めてんだバカ』みたいな話も、いや逆に、『何で営業自粛のはずなのに店開けてんだコノヤロウ』みたいな話も出てこよう。いやもう実例があるだろう。だから現に、警察官がドラッグストアで駐留警戒をしているなんて空恐ろしいケースもあるのだろう。

 そうしたケースにおいて顕著なとおり、結局のところ、自粛の要請を街頭・現場で担保するのは公権力、なかんずく警察である。そして警察のリソースには限りがある」

――要請に伴ういろいろなトラブルが、警察をパンクさせるおそれがあるということか。ただ現状、そこまでの混乱は見られないと思うが。

「いや、トラブルが例えば『行列の小競り合い』程度で収まればまだしもだが……

 (1)いよいよ具体的な犯罪が発生したらどうか。(2)あるいはより大きな混乱防止のため、直ちに現行犯逮捕や鎮圧をしなければならなくなったら。(3)いやそんな段階を過ぎ越して、外出自粛をしていた人々の蝟集(いしゅう)騒ぎが始まったら。(4)それも過ぎ越して、大きな雑踏事故が発生したら。(5)それも過ぎ越して、部隊活動が必要なほどの騒乱が生じたら。(6)はたまたそれらに便乗して、愉快犯なりテロ・ゲリラなり公共施設の襲撃なりが行われたら。しかもそうした犯罪、蝟集、事故、混乱、騒乱、テロゲリ、襲撃といったものは、まさか律儀に、1か所だけで発生してくれるものではないだろう。

 要は、『最悪の場合』を想定したとき、最前線で体を張って事態の収拾に当たらねばならず、またどんどん疲弊してゆくのは警察/警察官である。またその『疲弊』とは、物理的な疲弊であることもあれば、現場活動における〈3密〉に伴う組織的な疲弊、要は感染等による欠勤者であることもあろう。そして最終的には『治安崩壊』に至る……」

――私権制限は、最後の最後のところでは、警察が体を張って実現していくしかないが、要はその仕事と対象が多すぎてパンクする、治安崩壊に至るということか。

「最悪の場合を想定し続ければ、可能性の問題として、そうである。

 ただ誤解していただきたくないのは、警察はその責務と誇りに懸けて治安崩壊など起こさせないはずだ、ということ。警察はそのような最悪の場合を回避するため、社会秩序の維持について行動計画を策定し終えており、特に混乱時における措置についてはまさに、

『各種対策への“不満等に起因する社会的混乱”が発生し、又は発生するおそれがある場合には……組織の総合力を発揮して混乱の沈静化を図るなど、治安の維持確保を“強力に”推進していく』

等と強い言葉で公表している(“ ”は話者)。また警察の業務継続計画は、最大40%の欠勤者があることを前提にしているから、疲弊の問題も乗り切れると信ずる。

 したがって、『治安崩壊』などが現実となる可能性は著しく低いが……

 少なくとも、この機会に警察なり公権力なりが悪ノリして、移動の自由なり集会の自由なりを弾圧する可能性よりは著しく高い(後者がゼロ近似なので。そんな暇はないので)。

 ハッスルし過ぎて、あらぬことをやらかす。それが理論的に絶無とまでは言わないが、無理矢理ハッスルさせられて最終的に過労死してしまうことをこそ憂慮し、回避すべきだ。警察という市民自身の公共財を枯渇させてはならない。ゆえに、緊急事態宣言下において、警察と市民とがどう目的を共有し、どう協力し合ってゆけるかが実に重要となる。警察は市民の支えなくしては無力だし、市民もまた自らにふさわしい警察しか持てないのだから」

――一部報道によると、外出自粛をさせるため、『警察官に、不要不急の外出をしている可能性のある人に個別に声をかけさせ、帰宅を強く促させる』『職務質問と同じような形で、外出の理由を尋ねることは(法的に)可能』との見解も示されているようだが。

「それは……かなり疑問に思う。

 確かに一般論としては、警察官が街頭において、不審者でもなければ参考人的立場にもない、『まったく普通の市民』に質問をすることはできる。法律の根拠もいらない。

 ただ、それを警職法第2条に規定する職務質問と同様のかたちで行うことはできない。職務質問は、そもそも同条に規定するいわゆる不審者か、いわゆる参考人立場にある者に対して行うもの。だからこそ、非常にザックリ言えば、相手方の不審性いかんによって、相手方に与えることのできる迷惑・不利益も大きくなってよいとされている。

 ところが、まったく普通の市民に対する質問は、相手方に与えることのできる迷惑・不利益を最小化しなければならないこととされているので、御質問にある『強く促させる』とか『職務質問と同じような形で』といったようなやり方は無理だ。

 ただ、私は特措法に規定する都道府県知事の権限と、現場警察官の権限との関係がどう法的に整理されているのかを知る立場にない。よって、もしかしたら、御質問のような行為が法的に可能だ……との整理がなされているのかも知れない。

 しかし、それが仮に整理されているとして、『実際に』御質問のようなオイコラ的行為を現場警察官にさせるに当たっては、市民が社会的距離を置くことの重要性や、休業店舗等に対する便乗窃盗に対する警戒を強めなければならない必要性は十分認めるが、しかし(1)警察官というリソースが有限であること、(2)間近で質問等する密接場面をどう考えるかということ、(3)不要不急なのかどうかの認定に難があること、そして、(4)市民との紛議を同時多発的に発生させるおそれがあること(ゆえに、緊急事態宣言下における市民と警察との信頼関係に少なからぬ影響を及ぼすこと)、(5)例えば夜間における、受傷事故防止のための警棒展張の原則が(常日頃から当然のこととして行われているものだ)、外出している市民への威嚇ととられクレームや非難のネタとされかねないこと ……等が、入念に検討されるべきだろう」

(編集部追記:その後結局、「警察官が『夜間に出歩いている人など』に声をかけ外出の自粛を『知らせる』」こと、「外出の具体的な理由などを質問することは原則ない」ことが決まり、そうした声掛けが繁華街で実行されている)

――最後に、警察にも『緊急事態』という制度があると聞いたが、それは今般の『緊急事態宣言』と関係があるのか。

「確かに、警察法に『緊急事態の特別措置』というものが規定されている(第71条ないし第75条)。

 だが結論から言えば、それは今般の特措法による『緊急事態宣言』とは全く関係がない。

 そもそも警察法に規定する『緊急事態の特別措置』は、大規模な災害・騒乱といった緊急事態が発生したとき、警察の組織の在り方を一時的に変更し、非常時における指揮系統に切り換えるものだ。警察官の権限は何ら増えないし、まして市民の権利義務に何らの影響を与えない。また国会・裁判所との関係も変わらない。今般の『緊急事態宣言』によって可能となった要請、指示、命令といった市民の権利を制限する規定なども存在しない。極めて内部的なものである」

古野まほろ
東京大学法学部卒業。リヨン第三大学法学部修士課程修了。学位授与機構より学士(文学)。警察庁I種警察官として警察署、警察本部、海外、警察庁等で勤務し、警察大学校主任教授にて退官。警察官僚として法学書の著書多数。作家として有栖川有栖・綾辻行人両氏に師事、小説の著書多数。

デイリー新潮編集部

2020年4月17日掲載

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