歴史上の毒親はハンパない! 毒母に育てられた応神天皇の小狡い性格とは

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毒母・神功皇后

 そういう意味で言うと、熊襲を征し、倭の女王・卑弥呼にも重ねられる女傑・神功皇后の伝説もまた、いくばくかの真実を孕んでいると言えます。

 いくばくか――というのは、主として皇后が“三韓”、いわゆる新羅、百済、高句麗を征圧したという『古事記』『日本書紀』に伝えられる話は、かつて日本の帝国主義による東アジア侵略の根拠に利用されたという歴史から、とくに第二次世界大戦後は伝説として否定されています。

 一方で、高句麗の好太王碑文や、日本の考古学資料から、4世紀末から5世紀初めにかけて、倭国が朝鮮半島に進出していたことは確実視されている。

 神功皇后とその息子の応神天皇のころの『日本書紀』の時代設定は、百済の史料と照らし合わせると120年ほど後の時代であること――つまりは4世紀から5世紀の出来事が記されていることが、東洋史学者・那珂通世以来、知られており、すべてを作り事と切って捨てるのは無理があります。

 神功皇后の実在性は否定されているとはいえ、何らかの史実がベースにあって、そこから作られたキャラクター&説話と考えたほうが、納得がいきます。

 だとしても、神功皇后の妊娠・出産記事は、なんでまたわざわざこんなに荒唐無稽な話にしたの? と疑問なくらい、嘘っぽい話のオンパレードなのです。

 そもそも神功皇后は仲哀天皇の妻なわけですが、『古事記』によれば、

“神を帰<よ>せき”

 神を降ろして、自分に憑依させるパワーを持っていた。

 つまりはシャーマンです。

 これは古代の女王にはありがちなことで、卑弥呼もそうでした。で、神がかりした皇后が、

「西のほうに国がある。金銀をはじめ、まばゆいほどの珍宝がたくさんその国にある。私は今、その国を従えようと思う」

 と言うと、夫の仲哀は、

「高い所に昇って西のほうを見ても国土は見えずに、大海が見えるだけだ」

 と答え、「嘘つきな神だ」と考えて、神を寄せるための琴を押しのけ黙っていた。ヤル気ゼロの仲哀に、激怒した神(神が憑依していた皇后)は、

「この天下はお前が統治すべき国ではない。お前は一直線にあの世へ行け!」

 と言った。そこでタケウチノスクネノ大臣が天皇に琴を勧めたものの、天皇はいい加減にしか弾かない。そのうち琴の音が聞こえなくなったので灯りをつけるとすでに天皇は事切れていた――というわけです。

 この激しさですから、皇后と大臣の陰謀で仲哀が殺されたという説が出てくるのも無理はありません。

 皇后はさらに、継子にあたるカゴサカノ王<みこ>とオシクマノ王を殺しているんですが、そのやり方がまたえぐい。

 仲哀死後、妊婦の身で新羅を攻め、筑紫国で皇子(のちの応神)を出産した彼女は、『古事記』によると大和へ入る際、二人の継子を油断させるため、あらかじめ喪船を作って、「皇子が死んだ」と嘘の噂を流させます。それで相手が自分を攻めるかどうかをためしたのです。

 ことばが現実になるという「言霊」が信じられていた古代、これ、明らかに反則ですよね?

 というか、皇后は言霊を信じていなかったんでしょうか、シャーマンなのに……。

 皇子の命より勝利が大事だったんでしょうか?

 数々の疑問が浮かびますが、しかし、そこまでしても、皇后は、継子に攻められ、勝てなかったのです。

 すると、今度は自身が死んだと嘘をつく。

 そうして“欺陽<いつは>”りて降伏までしてしまう。

 そこで相手が武器をおさめたところを、一斉攻撃して勝利するのです。

 ひど過ぎます……。

 神功皇后は、なぜこんなにも手段を選ばなかったのか。

 と考えるに、そこまでしないと勝てないほどに継子の勢力が強く、神功皇后の腹の子が即位する正統性が低かったからでしょう。

 神功皇后が開化天皇の五世の孫であるのに対し、この継子たち――カゴサカノミコとオシクマノミコの母は景行天皇の孫です。

 母方の血筋から言っても、年齢的にも、二人の方に本来の皇位継承権があった可能性は限りなく高いでしょう。軍勢も彼らのほうが多かったに違いありません。しかも<系図1>を見てもらうと分かるんですが、神功皇后の母方の先祖って新羅の国王なんです。これも謎。先祖が新羅の王だから、新羅の存在を知っていたという設定なんでしょうか。皇后は実在しないと言われているとはいえ、何か意味がありそうです。

 いずれにしても、こんなふうに、神功皇后と応神は血筋的に継子たちより劣勢にあったからこそ、おそらくは味方も少なく、ここまで卑怯な手段を使わざるを得ぬ設定となった――神話では、ヤマトタケルノ命もそうですが、いかに効率良くだまし討ちするかが英雄の条件だったりもするので、このあたり、ことば通りに受け取る必要はないのかもですが――だとしても、皇子や自分が死んだとか嘘の降伏というのは、源平時代、あり得ない急坂を馬で下った義経や、戦国時代、城を兵糧攻めにした秀吉よりも、ある意味、戦上手です。

 そして殺されたカゴサカノミコ(彼は戦の前、神意を問う狩でイノシシに食われて自滅)とオシクマノミコにとって、神功皇后は毒継母ということばでは言い表せぬほどの犯罪者です。

 応神にしてみれば鬼神を母に持ったようなものですが、彼は、“胎中之帝”“胎中天皇”と呼ばれ(『日本書紀』継体天皇六年十二月条・二十三年四月七日条・宣化天皇元年五月条)、母の胎内にいる時から皇位が約束されていたことが強調されています。

 強調しなければならないほどに危うい思いをして勝ち取った地位であると同時に、彼が一つの王統の元祖的存在であったことを暗示しています。

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