保釈却下で“塀の中”に逆戻りの「羽賀研二被告」 金欠で保釈金もなかったという証言も

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地裁は「逃走の恐れ」

 刑務所ではないが、再び“塀の中”に戻ったことになる。羽賀研二被告(58)の保釈が認められず、拘置所に収監されていたことが3月29日、週刊新潮の取材で分かった。浮かび上がるのは、羽賀被告の“困窮”ぶりだ。

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 関係者によると、収監先は沖縄県の那覇拘置所だという。詳細をお伝えする前に、羽賀被告が収監されるに至った経緯を振り返っておこう。

 羽賀被告は2007年6月30日、自身の借金を減額させるため債権者の男性を脅迫したとして、恐喝容疑で逮捕された。

 同年7月に起訴されたが、更に9月には恐喝の被害者に対し、「未公開株が上場され、株価が上がる」と嘘をつき、約6000万円を詐取したとして再逮捕された。

 最終的に羽賀被告は、3億7000万円の詐取と恐喝未遂の罪に問われ、大阪地裁で公判が開かれた。

 そして公判中、羽賀被告の保釈が認められた。08年2月にサンケイスポーツは「どこから2000万円が…“金欠”羽賀研二、8カ月ぶりに保釈」(註:デイリー新潮の表記法に合わせた、以下同)と報道、“シャバ”に戻ったと伝えた。

 08年11月、大阪地裁は無罪判決を下し、“冤罪芸能人”として大きな注目を集めた。だが、判決にあたって重要な役割を果たしたとみられる知人の法廷証言が、偽証だったことが明らかになる。10年11月に大阪地裁は偽証を認め、知人に有罪判決を下した。

 この結果、11年6月に大阪高裁は一審の無罪判決を破棄し、羽賀研二被告に対し懲役6年の逆転有罪判決を言い渡す。13年には最高裁で懲役6年の刑が確定。羽賀被告は沖縄刑務所に服役した。

 刑務所の日々がどのようなものだったか、羽賀被告は週刊新潮の取材に応じ、詳細を語っている。

 20年3月26日号に掲載されたインタビュー記事は現在、「『羽賀研二』語る辛酸の獄中生活 シャバに戻れば妻は他の男と交際し…」というタイトルで、デイリー新潮に転載されている。

 ところが、羽賀被告が満期で釈放される直前の19年1月、今度は強制執行妨害の疑いで沖縄県警に逮捕された。

 自身が所有する不動産に家賃収入が見込めるため、妻と離婚を偽装。財産分与を行うことで差し押さえを逃れようとしたという容疑だった。

 その後に保釈が認められ、羽賀被告は、ようやく“獄中生活”から抜け出すことができたのだ。だが、その期間はあまりにも短かった。

 今年3月18日、沖縄地裁は懲役1年6か月の実刑判決を下した。羽賀被告は即日で控訴し、更に保釈申請も行った。だが、地裁は認めなかった。取材を担当した記者が明かす。

「沖縄地裁は『逃走の恐れがある』とし、羽賀被告の保釈を認めませんでした。その結果、羽賀被告は那覇拘置所に戻ることとなったのです。芸能人や著名人の場合、保釈金が高額になるものの、保釈自体は認められることが多いと言われています。ところが彼の場合は違いました。確かに芸能界から実質的に引退しているわけですから、一般人扱いなのかもしれません。保釈が認められなかったという事実が、羽賀被告の境遇を象徴しているように思えてなりません」

 仮に沖縄地裁が保釈を認めたとしても、今の羽賀被告に保釈金の捻出は難しかったという声もある。週刊新潮の取材に応じた知人が明かす。

「19年1月の逮捕時、保釈金は400万円で、羽賀被告は全額を借金で工面しました。当時は支援してくれる人がいたのです。もし今回も保釈が認められていたなら、保釈金は1・5倍くらいだったとも言われています。つまり600万円だったと見られているわけです。前回の400万円は裁判所が保管していますから、さらに200万円を集める必要がありました。しかし、かつては支援してくれた人も、今は離れてしまいました。今の羽賀被告は、一銭だってお金を借りることはできないでしょう」

 1994年、羽賀被告は梅宮アンナ(47)との交際が発覚。95年には2人で写真集『アンナ 愛の日記―梅宮アンナ 羽賀研二』(新潮社)で“ペアヌード”を披露するなど、多くの話題を提供しながら、99年に破局を迎えた。

 07年に羽賀被告が逮捕されると、父親の梅宮辰夫(1938~2019)にマスコミが殺到。梅宮は報道陣の前で「はっきり言いますよ、『希代のワル』です。羽賀がやっていることはあの手のことばかり」と吐き捨てたことは、今も記憶に新しい。

 だが今の羽賀被告から浮かぶのは、まさに尾羽打ち枯らした状態だ。さすがに哀れという印象を持ってしまうのだが……。

週刊新潮WEB取材班

2020年4月1日掲載

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