ハイジャック事件から丸50年 平壌の「よど号メンバー」にもコロナで外出禁止令

国際 韓国・北朝鮮

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 若い読者にとっては、「よど号ハイジャック事件」と言われてもピンと来ないかもしれない。1970年3月31日、羽田空港発―板付空港(現・福岡空港)行きの日本航空機(通称・よど号)が、北朝鮮への亡命を希望する赤軍派(共産主義者同盟赤軍派)によって乗っ取られた日本初のハイジャック事件である。あれから50年。今も平壌で4人の実行犯と、2人の日本人妻が暮らしている。支援者に話を聞いた。

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 事件を起こしたのは、リーダーの田宮高麿(大阪市立大学)、小西隆裕(東京大学医学部中退)、岡本武(京都大学農学部中退)、田中義三(明治大学)、魚本公博(関西大学除籍)、若林盛亮(同志社大学除籍)、赤木志郎(大阪市立大学除籍)、吉田金太郎、柴田泰弘の9人の赤軍派メンバーだ。北朝鮮を赤軍派の国際根拠地にするための亡命だったというが、今では荒唐無稽な考えと言われても仕方あるまい。

 ハイジャックされた日本航空機は、福岡の板付空港で女性や子供、病人、高齢者など人質23人を31日に解放。その後、韓国側の金浦国際空港に着陸して、4月1日に日本から駆け付けた山村新治郎・運輸政務次官が乗客の身代わりに人質となることで犯人側と合意。3日に乗客と客室乗務員が解放した後、平壌へ向かった。4日、北朝鮮は犯人グループの亡命を受け入れ、乗員と山村次官は日本に戻ったのだ。

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