ハイジャック事件から丸50年 平壌の「よど号メンバー」にもコロナで外出禁止令

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居たければいつまでも居ろ

「当初、3月27日に実行するはずでしたが、飛行機に乗ったことがなかった赤軍派メンバーの一部が遅刻したため、計画を変更しています。彼らは、北朝鮮についても詳しく調べていたわけではありませんでした」

 と話すのは、よど号のメンバーを支援する、「かりの会」帰国支援センターの山中幸男代表である。同氏は、1990年から支援を始め、これまで北朝鮮に70回も渡航している。

 亡命先として北朝鮮を選んだのは、その体制を支持したわけではなく、日本と敵対関係にある身近な国だったからだ。

「それでも亡命後、赤軍派のメンバーは北朝鮮から厚遇されています。彼らは最初、平壌ホテルに宿泊させられ、その後、外国人の接待所に移り、ほどなくして平壌郊外にある、市の中心から車で1時間の大同江に面した場所で暮らすようになりました。住居として、鉄筋コンクリート作りの3階建ての住宅棟が用意されました。一世帯2LDKの間取りです。その他、日本などから来た宿泊者を泊めるゲストハウスが1棟、さらに事務棟、食堂棟と計4棟があり、日本村と呼んでいます。その敷地内にはバレーボールができるグラウンドがあり、家庭菜園ができる畑もあります」

 9人のメンバーのうち、吉田以外はみな、日本の女性と結婚し、子供をもうけていたことが92年(岡本の妻は96年)に発覚する。よど号妻と呼ばれた彼女たちは、どういう経緯で北朝鮮に入国し、結婚に至ったのか明らかになっていないが、多くは、強制的に結婚させられたと言われる。

「子供は全部で20人いますから、この日本人村で一番多いときで38人が生活していました。よど号メンバーには仕事があり、平壌市内で輸入品雑貨や食料品などを扱う商店を経営していました。外貨ショップですね。車を日本から輸入したこともあり、結構大掛かりに商いをやっていました。90年代まで、この仕事を続けていました」

 9人のメンバーのうち、吉田は85年頃に病死。日本人村から離れて、拉致被害者で妻の福留貴美子さんと暮らしていた岡本は88年、工事現場で作業中、夫妻ともども土砂に埋もれて亡くなったという。リーダーの田宮は95年に平壌で病死している。

 柴田は、極秘に日本に帰国するが、88年に逮捕された。実刑5年の懲役を受け、94年に出所。2011年に大阪で病死した。田中は、96年にカンボジアで身柄が拘束され、タイに移送。偽造された米ドル札の所持容疑で起訴されるが、無罪に。2000年に日本へ。03年に懲役12年の判決が確定し、熊本刑務所に収監され、07年に肝臓がんで病死した。

 2001年から09年にかけて、20人の息子や娘が帰国した。ハイジャック犯9人のうち、平壌で生き延びているのは、小西、若林、赤木、魚本の4人。田宮の妻の森順子、若林の妻の佐喜子も日本人村で暮らしている。6人とも国際手配中である。

 よど号のメンバーはホームページを立ち上げ、近況を紹介している。Twitterでもつぶやいている。

〈3月17日 コロナウイルス対策で一ヶ月外出禁止の私たちも今週から解除されます。少しほっとした気持ちになりますが市内では至る所で消毒が行われ歩く人は必ずマスク使用です。日本での感染拡大がいつまで続くのか、不安と心配が先だちます。森〉

「6人は現在、北朝鮮政府から給与をもらって生活しています。日本人村には車が2、3台ありますから、平壌市内へ自由にショッピングにも行けます。日本の食材もけっこうあるので、日本料理をよく作っています。正月や夏休みには、日本海側の沿岸部にあるリゾート地に旅行することもできます。日本人村には、日本のBS放送を受信できるパラボラアンテナがありますから、NHKや民放のBS放送も観ているようです。NHKの朝ドラなんかよく観ていますよ。北朝鮮当局は、居たければいつまでも居ていい、と言うものの、彼らはみな帰国を望んでいます。もっとも、日本に行っても、刑務所に入るだけですので、私はそのまま居たほうがいいんじゃないかと、冗談で彼らに言ったこともありましたけどね」

 北朝鮮も、新型コロナの拡大があった。もっとも、早くから防御策を講じたため、大きな被害は出ていないという。

「1月10日過ぎには、中国との国境線を閉鎖しました。北朝鮮のような国は政府の号令一下、何でも動くので、予防体制を敷くことは得意で徹底しています。よど号グループも2月から最近まで日本人村から出ないように命令されていましたが、3月の下旬からは買い物に行くことができるようになりました」

 6人は、平壌で骨を埋めることになるのだろうか。

「なんとか、帰国させたいですね。日本に戻れば起訴されますが、刑務所で拘留されても、保釈できるようにしたい。今年で50年ですので、彼らに残された時間はわずかです。彼らが帰国するためには、日本人の拉致問題が解決する必要があります。というのは、魚本と森順子、若林佐喜子は、1980年に欧州で日本人が拉致された容疑で国際手配されているからです。これは冤罪ですから、まずは拉致問題を解決しなければなりません」

 そう簡単に、よど号グループの言い分が通るとは思えないが……。

週刊新潮WEB取材班

2020年3月31日掲載

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