梅宮アンナが明かす「梅宮辰夫」の最期 “パパに腎臓をあげる”と言うと…

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パパは“スーパーマン”

 それまではなるべく時間を作って真鶴を訪れていましたが、以降は、両親とも話し合って、金曜の晩から月曜の朝まで、毎週末を両親と過ごすようになりました。

 でも、病気を抱える高齢の両親と離れて暮らしていると心配が尽きないんですよ。パパが6度目のがんを宣告された頃、ママも膠原病と診断されてね。ママは松濤の家を気に入っていて、近くには友達もたくさんいる。真鶴に移ってストレスが溜まっていたんだと思います。いまもステロイドを服用していますが、一時は顔がパンパンに腫れるムーンフェイスという副作用に悩まされたことも。

 見かねた私は、去年の10月に自宅を引き払って、港区内に私名義で大きめのマンションを借りました。私と娘、それに両親とワンちゃんが一緒に暮らすためです。「都会に戻ればパパもママも元気になるんじゃないか」って思ったんです。でも、パパは結局、1カ月で「ここは嫌だ。真鶴がいい」と言い出して帰ってしまったんです。海が好きなパパにとって、真鶴の景色に敵うものはなかった。それに、“辰ちゃん漬”が人気だった頃に買ったあの別荘は“漬物御殿”と呼ばれていて、パパも思い入れがあったんでしょうね。いまとなっては大好きな真鶴で息を引き取ったことが救いに思えます。

 闘病中のパパが「イヤミ大魔王」になったことにショックを受けたのは、それまで私が愛され続けてきたからだと思うんです。パパは若い頃に夜遊びばかりしていたから、「罰が当たって五体満足な子どもが生まれないんじゃないか」と悩んでいたそうです。1972年に私が生まれると、真っ先に手足の指を数えたとか。

 まもなく最初のがんが発覚したこともあって、パパはタバコも夜遊びもやめました。それどころか、どこに行くにも赤ん坊の私と一緒。撮影所に私を連れて行って騒動になったことも。だって、役柄が“スケコマシ”なのに、撮影の合間に私のオムツを替えるんだから。監督が“なにマイホームパパみたいなことしてるんだ!”と激怒して台本を叩きつけたと聞きましたね。

 いろいろと言われますけど、パパが私の恋愛に直接、口を出してきたことは一度もありませんでした。それなのにワイドショーでは怒ってみせるでしょう。「そんなに嫌なら、私にはっきり言えばいいでしょ」と迫ると、「その話はいい」って、会話が止まってしまう。

 本音ではパパは、私の恋愛関係が嫌だったと思うんですよ。私もパパが「アイツはいいな」と思える相手を好きになれたらよかったんだけど……。

 ママを見ていると、パパみたいにしっかりした彼氏がいたら楽だろうなって憧れることはありました。でも、パパのように“スーパーマン”みたいな人には出会えない。パパを超える男性がいるなら、ぜひお会いしてみたいですね。

 真鶴の家は維持が大変だから手放すことになると思います。娘のモモは留学する予定だし、ママもお友達の近くで暮らしたいと話しているので、梅宮家の女3人は別々の道に進むことになりそう。パパとの思い出を胸に留めながら、私も自分の生活を取り戻していきたいと考えています。

週刊新潮 2020年2月27日号掲載

特集「『パパに腎臓をあげる』と言うと…『アンナ』が明かす『梅宮辰夫』の最期」より

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