「ハブ空港」と呼ばれて(古市憲寿)

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 僕の知人に「ハブ空港」と陰口を叩かれる人物がいる。顔見知りの数は多いにもかかわらず、その人自身と一緒にいたい人は少ない。「ハブ空港」のように目的地ではなく経由地にされてしまっているのだ。

 僕自身、「ハブ空港」には感謝している。その空港経由で出会った友人がたくさんいるからだ。だけど、肝心の「ハブ空港」とは仕事をしたこともなければ、もう何年も会っていない。

 理由は実際の空港と同じである。知人の「ハブ空港」さんには何も用事がないのだ。ハブ空港でできることは、大抵、他の場所でもできるし、そっちのほうがレベルも高い。わざわざハブ空港に行く人は余程の物好きだ。多くの人々は、具体的な何かを求めて旅に出る。

 朝井リョウさんの『何者』という小説がある。作中の就活生が「何者」かになろうと葛藤する物語だが、実際、「何者」かになると人付き合いは一気に楽になる。

 僕は『絶望の国の幸福な若者たち』という本を出してから、社交が簡単になった。それは「若者についての本を出している人」「若者に詳しい人」といった一言で、自分が「何者」かを表現できるようになったからだ。自己紹介をする時も、他人に紹介される時も「何者」かであれば手間が省ける。

 余談だが、そんな僕も35歳になった。自信満々に「若者」と言える年齢ではない。しかし年齢とは相対的なもの。誰と並ぶかで人は若くも見えるし、年寄りにも見える。「とくダネ!」で小倉智昭さんの隣に座れば、今でも「若者」に見える。「朝生」の田原総一朗さんも同じ。高齢者は大切にしたいものである。

 同じように、もしも自分を若く見せたいなら骸骨みたいな老け顔の人と並べばいいし、痩せて見せたいなら力士に囲まれればいい。

 話を戻す。「ハブ空港」さんは「何者」かがよくわからなかったのだ。しかし「何者」かになるのは決して難しいことではない。文字通り、「何か」をしている「者」なら誰でも「何者」かになることができる。

 たとえば新潮社の出版部部長なら「背中がミシュランマンのよう」「前からも太って見えるが、横から見るとさらに太っていることがわかる」といった、親方キャラで有名だ。

 このように会社名や肩書きに加えて、何かの属性や特徴が一つあると人から認知してもらう可能性はぐっと上がる。しかし重要なのはここからである。その出版部部長には友人や知人がたくさんいるが、決して体型に惹かれて付き合っているわけではない(おそらく)。

 何度も会う中で、人柄だとか知識だとかに触れて、その人を好きになっていくのだ。一言で表現できる「何者」かという説明がきっかけとなり、人付き合いは深まっていく。

 そんな中瀬ゆかりさんだが(名前を出してしまった)、最近はダイエットに成功してしまったようだ。みるみる痩せていると評判である。自称「デブ空港」という大切な特徴が失われていいのか心配だが、すぐリバウンドするので杞憂だろう。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2020年2月13日号掲載

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