“最後の近鉄戦士”はわずか3人に…岩隈久志、坂口智隆、近藤一樹の気になる現在地

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 すでに元号は令和となり、昨秋のドラフト会議では21世紀生まれの未来ある高校生たちが数多く指名された。新時代到来の波を感じるプロ野球界だが、この流れに必死に抵抗している“旧時代”の男たちがいる。年齢が若い順に、坂口智隆、近藤一樹、岩隈久志。今やわずか3人となった「最後の近鉄戦士」たちである。

 大阪に本拠を起き、「猛牛軍団」と呼ばれた近鉄バファローズ。豪快な「いてまえ打線」で数々の伝説的な戦いを繰り広げながら、個性的な選手を数多く輩出して昭和のパ・リーグファンから強く愛された。だが、2004年の球団再編の中でオリックスと合併する形で消滅。その年のシーズン最終戦、当時の梨田昌孝監督から「お前たちが付けている背番号は、すべて近鉄バファローズの永久欠番だ!」と送り出された選手たちはその後、それぞれの形でプロ人生を続けた。しかし、時代の流れとともに元近鉄戦士たちの「引退」のニュースが増え、球団消滅から15年余りが過ぎた現在、前述した3人のみとなっている。

 その中で最も若いのが、1984年7月7日生まれの坂口智隆だ。神戸国際大附属高から2002年のドラフト1位で近鉄に入団すると、高卒1年目の03年の10月に1軍デビューを飾り、プロ初安打もマーク。近鉄でのプレーは2年のみだったが、オリックスでゴールデングラブ賞を4年連続(08~11年)で受賞し、11年には最多安打のタイトルも獲得した。そして16年にヤクルトに移籍し、昨季までのプロ17年間で1382試合に出場して通算1408安打をマークしている。

 だが、その坂口も35歳。天性のバットコントロールと野球センスで結果を残してきたが、昨季は開幕3戦目に死球を受けて左手親指骨折のアクシデントに見舞われると、復帰後も状態が上がらず、出場22試合で打率.125(64打数8安打)と不本意な形でシーズンを終えた。球団とは年俸変動制の3年契約を結び、今季が2年目(推定年俸1億1500万円)となるが、昨季と同じような成績で終わるわけにはいかない。おそらく今季は、バレンティンが退団したことで空いた外野1枠を、中山翔太、山崎晃大朗、塩見泰隆といった20代中盤の選手たちと争うことになるだろう。経験値では坂口に分ある。どこまで肉体的なコンディションをキープできるかが鍵になる。

 坂口よりも1学年上、1983年7月8日生まれの近藤一樹も、同じくヤクルトに所属している。日大三高のエースとして甲子園優勝投手となった2001年のドラフト7位で近鉄に入団。03年に1軍デビューを果たすと、近鉄最後の年となった04年9月にプロ初先発で初勝利を挙げた。その後、オリックスで11年間プレー。08年に10勝を挙げた後、右肘の相次ぐ手術の影響で低迷期が長く続いたが、16年のシーズン途中に交換トレードでヤクルトに移籍して中継ぎに転向したことが転機となり、翌17年に54試合に登板すると、さらに18年にはシーズン最多の74試合に登板して7勝4敗35ホールド2セーブ、防御率3.64と奮闘して最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。

 その近藤は、昨季もしっかりと働いた。59試合に登板して3勝3敗19ホールド、防御率3,57。前年よりもやや数字は落としたが、依然として貢献度は高く、オフの契約更改でも3年連続でのアップ査定でサイン(推定年俸6700万円)した。登板数を見ると、通算327試合中、半分以上の187試合が最近3年間で記録したもの。今季でプロ19年目、7月で37歳となるが、ベテランとしての投球術を心得ている遅咲きの男は、今季も含めて少なくともあと2、3年は働けそうだ。

 最も窮地に立たされているのが、1981年4月12日生まれの岩隈久志だろう。1999年のドラフト5位で近鉄に入団。プロ2年目の01年の後半戦に頭角を現して計4勝を挙げてリーグ優勝に貢献し、日本シリーズにも先発で登板を果たした。翌02年に8勝を挙げると、03年、04年と2年連続で15勝をマークし、近鉄最後のエースに君臨した。その後、楽天でプレーして08年には21勝4敗、防御率1.87の成績で沢村賞を受賞。11年オフにマリナーズに移籍して18年まで所属。近鉄時代に「浪速のプリンス」と呼ばれた男は、メジャーの舞台で通算150試合に登板して63勝を挙げる活躍を見せた。

 しかし、17年9月に受けた右肩手術からの復調に時間を要した。巨人入りして日本球界復帰を果たした19年シーズンも右肩のリハビリでスロー調整を強いられ、ようやく8月に2軍戦で実戦復帰するも、2軍戦2試合登板のみ(1軍登板なし)でシーズン終了。契約更改では前年から60%ダウンとなる推定年俸2000万円でサイン。「野球人生で1番早く終わったシーズンだと感じています」と振り返った。

 今季の残留は決まった岩隈だが、さすがに2年連続での1軍未登板は許されない。2009年のWBCをともに戦い、自ら獲得に動いた原辰徳監督の後ろ盾があっても“次”は難しいだろう。生き残るために、まずは1軍マウンドに立つこと。昨年10月に右鼠蹊部のヘルニア手術を受けたが、その影響がどう出るのかも大きなポイントになる。実力、実績は申し分ない。万全のコンディションでマウンドに立つことができれば、まだまだ勝てるはず。日米通算170勝の男として、そして元近鉄戦士としての意地を、是非とも見せてもらいたい。

 そして今季、彼ら3人に期待したいのは、彼らが同じ球場で、同じ試合に出場することである。「岩隈が先発して坂口と対戦し、試合途中から近藤がリリーフ登板する」。十分にあり得る話だ。その時、彼らは懐かしげに言葉を交わすだろう。再会。今でも近鉄を愛するファンたちは、その瞬間が訪れる日を待っている。

週刊新潮WEB取材班

2020年1月28日掲載

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