「歌会始」を機に考える、天皇の和歌が秘める外交発信力

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 令和になって最初の歌会始が16日に開かれる。皇室行事である「歌会始」を通して、短歌は皇室と国民をつなぐ文化のひとつとして定着してきたことは間違いないが、両陛下が詠まれる短歌も国際親善や相互理解に小さくない役割を果たしていることはもっと知られていいだろう。

世界で例を見ない歴史と規模

 歌会始には日本に駐在する外国大使も招待される。外国人にとって歌会始で披露される短歌は「31文字の詩」だが、大使たちにとっては昨年の即位の礼に続いて、日本が守ってきた長い伝統文化に改めて触れる機会となる。
 
 遅くとも13世紀にルーツをもつといわれる皇室の「歌会始の儀」が営々と今日に引き継がれている事実。また短歌を詠み上げる披講所役という人が、独特の朗詠でもって歌を披露する、その古式ゆかしいやり方。さらに世界でも例のない規模で、一般の日本人が短歌や俳句といった「詩」を嗜むことに、大使たちは驚く。

 歌会始に出席した欧州のある国の大使は、歌会始には毎年数千に上る一般からの応募があり、歌会や句会といったボランティアの「詩のサークル」が全国津々浦々に存在することを知り、「これほど詩を読み、詩を作る国民は他にいないのではないか」と私に語ったことがある。

ベトナムに残った元日本兵

 江戸時代に始まった俳句に対して、短歌(和歌)は奈良時代からのものだが、私が注目するのは天皇、皇后をはじめとする皇族方が外国を訪問した時に詠んだ歌や、また外国をしのんで詠んだ歌が、その国の人たちに感銘を与えている事実である。

 以下のエピソードは拙著『皇室はなぜ世界で尊敬されるのか』でも触れたが、現在の上皇、上皇后は天皇、皇后だった2017年2月、5泊6日の日程でベトナムを訪問した。戦争で苦難を味わった人々に寄り添い、慰めるのを自分たちの責務としてきた両陛下は、第2次大戦が終わった後にそのままベトナムに残り、対仏独立戦争に加わった元日本兵が残したベトナム人家族と面会した。

 この訪問のあと、両陛下はそれぞれ歌を詠まれた。

 天皇の歌である。

 戦(いくさ)の日々人らはいかに過ごせしか思ひつつ訪(と)ふベトナムの国

 対仏独立戦争、ベトナム戦争、カンボジア侵攻、中越戦争と、幾多の戦争と紛争をくぐりぬけてきたこの国の人々の苦難に思いを馳せた歌だ。

 一方、皇后はこう詠んだ。

「父の国」と日本(にっぽん)を語る人ら住む遠きベトナムを訪(おとな)ひ来たり

 歌の詞書(ことばがき)に、「第2次大戦後、ベトナムに残留、彼地に家族を得、後、単身で帰国を余儀なくされし日本兵あり」とある。ベトナム訪問時の残留日本兵の家族との面会が皇后の心に深く刻印されたことが窺える。同じアジアながら「遠きベトナム」という言葉に、歳月を経てやっと訪れることができた国、との思いが込められている。

「ベトナム人の心を揺り動かした」

 両陛下のベトナム訪問から1年3カ月後の2018年5月、ベトナムのチャン・ダイ・クアン国家主席夫妻が国賓として来日した。その歓迎宮中晩餐会で、答礼スピーチに立ったクアン国家主席は、ベトナム訪問後に両陛下が作った歌に触れ、「二つの御歌はベトナムの何百万人もの心を揺り動かしました」と述べた。

 クアン国家主席は両陛下がベトナムを訪問した時にも、ハノイで開いた歓迎晩餐会の歓迎スピーチで、明治天皇の歌「もろともにたすけ交はしてむつびあふ友ぞ世に立つ力なるべき」を引用して、両国関係に重ねた。日越両国は重要なパートナーで、両民族の友情、共通利益が両国関係の強固な基盤となっているとの指摘でもあった。

 クアン国家主席が2度にわたって両陛下と明治天皇の短歌を引用したのは、短歌が皇室と国民をつなぐ文化であることをよく知っていたからでもあるだろう。

バルト3国独立を祝した歌

 やはり上皇と上皇后は天皇、皇后だった2007年5月、バルト3国(リトアニア、ラトビア、エストニア)を訪問された。当時、駐スウェーデン大使(ラトビア大使も兼轄)だった大塚清一郎氏は、大の日本通で友人でもあったラトビアのアルティス・パブリクス外相(当時)から両陛下の訪問を記念し首都リガの公園に日本の桜を植樹したいという提案を受け、それに賛同。「桜にちなんだ和歌を銘板に刻みたい」と語る同外相は、古今和歌集にある紀友則の歌を選んだ。

 ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

 また、植樹の翌日に行われた両陛下を歓迎する盛大な午餐会で、大塚氏はパブリクス外相に、皇后陛下がバルト3国独立の際に詠んだ和歌があることを伝えた。

 その一首は、

 秋空を鳥渡るなりリトアニア、ラトビア、エストニア今日独立す

「今日」とは、当時のソ連がバルト3国の独立を承認した「1991年9月6日」のこと。大塚氏の英訳にじっと耳を傾けていたパブリクス外相は感激の面持ちでこう言った。「素晴らしい話です。広くラトビア国民に知ってもらいたいので、早速ラトビア語訳を作成することにしましょう」

 午餐会は和やかな雰囲気のうちに終了した。翌朝、リトアニアに向かう両陛下をリガ空港に見送った同外相は大塚氏に握手を求めて「素晴らしいご訪問でした。このような歴史的ご訪問の仕事を一緒に出来たことは実にうれしかった」と語ったという。

アラブ世界の情景を詠んだ歌も

 今上天皇、皇后も皇太子、皇太子妃時代に外国を訪問した折りの歌がある。1994年11月、中東歴訪の一環としてサウジアラビアを訪問した際、皇后は首都リヤド郊外の「赤い砂漠」を歩いていた時の情景をこう詠んでいる。

 夕映えの砂漠の町にひびきくる祈りの時をつぐる歌声

 歌声とはイスラム教の信者を祈りに誘うアザーンの調べのことだろう。昔は回教寺院の尖塔の上から導師が地声で朗唱したが、いまはスピーカーから流れてくる。

 天皇も皇太子だった2009年の歌会始で、やはり中東を訪問した時のことを歌っている。

 水もなきアラビアの砂漠に生え出でし草花の生命(いのち)たくましきかな

 ご夫妻が結婚後に初めて訪れた外国が中東のアラブ世界だった。お二人にとって印象深い旅だったことが分かる。宮内庁のホームページには英訳も出ており、これを読んだアラブの人々は嬉しかったに違いない。

 天皇、皇后を中心とした天皇家が詩を詠むことを昔から日常のこととしている事実は、皇室が欧州の王室とはまた違った文化・精神基盤の上にあることを国際社会に知らしめている。

西川恵

2020年1月16日掲載

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