生田斗真 ジャニーズの“伝統”を変えた男

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“ジャニーズ”の定義を超えていく

 楽しいと思えた己の道を突き進めば、自然と周りは気にならなくなってくるものです。2011年、斗真は「人間失格」で、ジャニーズとして初めてキネマ旬報ベスト・テン「新人男優賞」、そしてブルーリボン賞を受賞しています。そのときに、山下智久、松本潤といった「元同期」の名前を出されこんなコメントをしています。

「彼らと違うところ? カラオケに行って自分に持ち歌がないことくらいです(笑い)」(「スポーツ報知」2011年1月26日)

 己の道を突き進んだ時、周囲との差は劣等感ではなく笑い飛ばせるものになっていた。それは周囲との差が上下のものではなく、ただ左右に道が分かれただけだ、と気づいたからでしょう。

 この頃にはもう「ジャニーズJr.」という言葉では、生田斗真の人気と活動の広がりを表せなくなっていました。

 2010年8月31日。25歳の生田斗真は、ジャニーズJr.を正式に「卒業」という扱いを受けます。華々しいCDデビューがあったわけではなく、静かに公式サイトから(ジャニーズJr.)の表記が消え、個人ページができる、という形での「卒業」です。

 生田斗真が、“一員でもおかしくなかった”嵐のデビューから実に11年が経過していました。とはいえ、振り返ってみても下積みという意識はないようです。

「下積み時代というとすごく苦労したみたいに聞こえるけど、自分としてはそんなにつらさを感じたことはなくて。(中略)自己形成の時期だったなって感じなんです」(「MORE」2010年3月号)

 冒頭で紹介した山下智久の言葉を借りれば、「前例を壊した」斗真。「CDデビューしないと、ジャニーズJr.を卒業できない」――そんなジャニーズの定義を変えたとも言えるでしょう。

 とはいえ、本人は意識的に壊そうとしてきたというよりも、好きを突き詰めていったら、結果的にそうなったと語っています。

「ひとつひとつの仕事を積み重ねてきて、気がついたら今に至るという感じです。自分の進むべき道を悩んだ時期もありましたけど、それは僕に限らずあるだろうし。今は、ジャニーズ事務所の面白味に自分も貢献できたかな…って思うんです」(「女性セブン」2015年2月19日)

ライバルは自分の周りにいるとは限らない

 生田斗真や、その後に同様の形でジュニアから「卒業」した風間俊介の存在によって、ジャニーズタレントの“進路”に多様性が生まれました。斗真自身も、後輩に対しては意識的に自らが前例となって、道を作ろうとしているようです。

「僕みたいに俳優でやっていきたいという後輩からの相談も増えてきたのは嬉しいですね。僕が選んだ道は側道だとは思ってなくて大きな幹だと信じてるけど、ある意味メインストリームではないのは確か。だからこそ、この道を舗装して、後輩たちが通りやすいように誘導してあげたい」(「STORY」2015年3月号)

 ひとりの活躍が、新たな道を作っていく――。そして、ほかの誰かが、そこを通っていく。個人の活躍が、組織のルールを変えていったのです。
では、なぜ斗真は前例を壊す存在になれたのでしょうか?

 それは斗真が過度に周囲を意識して焦るタイプではなかったからかもしれません。競争の激しいジャニーズという世界では珍しく、自身でも「あまり他人と自分を比べない」「先輩や後輩が活躍するのを見ているのが楽しい」などと語っています。

 周囲を意識するのではなく、他ジャンルで活躍する人々を目標とする。

 けれども、外の世界に意識を向けたり、実際に足を踏み入れたりするのは、たやすいことではありません。実際、「ジャニーズ」と「役者」の世界を行き来していた斗真は、「どこにも属せない自分、どこにもカテゴライズできない自分っていうのがすごい嫌だなって思ってた時期はある」と、もどかしかった日々もあったと言います(TBSラジオ「伊集院光とらじおと」2018年05月24日)。

 しかし、カテゴライズされないということは、新しい世界に足を踏み入れた証拠でもあります。生田斗真以降、「ジャニーズJr.の卒業」は、イコール「退所」ではなくなり、卒業後も新たな形で活躍するその道を多くの後輩たちが進んで行っています。

 前例がない場所は、過酷な場所でもあります。しかし、勇気をもってその場所へと進んだことで、“小さな革命”が起こる――。

 その革命は、起こそうと思ったものではなく、起きてしまったものであるところに必然を感じます。「変えよう」と思っていた男が世界を変えるのではなく、周りと自分を比べずに、自分のやり方で努力を続けてきた男が、結果的に「変えていた」。

「みんなが向いている方に行かない。行きたくないなと思っているふしもあるし、行こうとしても行けない感じもある。それはもう自分の性分」(「パピルス」2015年2月号)

 そんな、飄々と生きて自分の感覚を持ち続ける男が、今日もどこかで、誰にも気づかれずにゆっくりと革命を起こしているのかもしれません。

霜田明寛(しもだ・あきひろ)
1985(昭和60)年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーデションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。2019年8月現在は、WEBマガジン「チェリー」の編集長を務め、著名人インタビューを行う。3作の就活・キャリア関連の著書がある。

デイリー新潮編集部

2019年12月14日掲載

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