木内みどりさんが“脱原発”に漏らしていた苦労 「市民運動ってなんて面倒くさいの…」

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 女優の木内みどりさんが、18日、急性心臓死のため亡くなった。69歳だった。晩年「脱原発のマドンナ」としての活動も精力的に行っていた木内さんは、かつて週刊新潮の取材にこんな苦労を漏らしつつ、信念を貫いていたわけである……。(2016年11月10日号記事を再掲載)

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「海外の俳優さんが時に社会的な発言をするでしょ。あれと同じなんですけどね」

 彼女が“脱原発”に関わる契機は、2011年3月に起きた東日本大震災と原発事故だった。

「私自身人生が変わったという思いがありまして。で、何かをしなくてはと思い立って、事故から4カ月ほど経った頃、明治公園から代々木公園まで練り歩くデモに初めて参加しました。知り合いもいないし、ただ独りで俯いて歩くだけでした。

 そのうち“木内みどりさんでは?”とばれてしまい、『グループに入って』『呼びかけ人になって』と声をかけられるように。『私は団体行動ができないから』と断っていたんですが……」

 それでも断りきれなくなり、“司会ぐらいなら”と引き受けることに。

「でも、だんだん“嫌だなあ”と感じることが多くなってきました。例えば、集会にはそれが仕事の人がいますよね。専従の人。こういう人って、いつも同じことしかしなくて、新しいことを提案しても受け付けてくれないんです。『英語の看板を設置しましょう』『ツイッターやフェイスブックを使って情報を発信しましょう』と言っても、メール打つのがやっとで対応できないとかね。で、やるのは、昔ながらのアジビラ。ハンドスピーカーで『原発やめろ』って怒鳴ってもね。時代とずれてるんですよ。

『こういう風にしゃべって』と、自分たちの流儀を押し付けてきたときは、さすがに私、言ったんです。『私は無償で、私の思いだけでやっているんです。義務はないんです。もし命令されたり、指示されたりするのなら、帰ります。もう来ません』って。そしたら、その人大慌てで。きっと私に帰られたら、自分の責任になると思ったんでしょうね」

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