東大教授が斬る「大学入試英語の民間試験、延期ではなく理念の見直しを」

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「日本人は英語がしゃべれない!」との理屈で…

「CEFR」という略語を聞いたことがあるだろうか。民間試験を導入するにあたって、陰の主役となったのはこのCEFRなる指標だった。民間試験推進のために掲げられたのは「日本人は英語がしゃべれない!」「だから、大学入試で2技能(読む、書く)より4技能を測ろう!」との理屈だが、これだけではばらばらに結果の出る複数のテストを比べられないので、それらをCEFRという一つの指標で換算することになったのだ。一見、もっともな理屈だろう。しかし、専門家の間ではこのCEFRの使い方こそが、この政策の致命的な欠陥だと言われている。

 CEFRは「外国語の学習・教授・評価のためのヨーロッパ言語共通参照枠(Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment)」の略で、欧州評議会で使われている、英語を含む各言語の運用能力を測るための参照枠を指す。「国際基準だから大丈夫」と言われるのもそのためだ。

 しかし、CEFRは一冊の本になるほどの、非常に細かい入り組んだ枠組みであり、単純明快な指標ではない。その思想を理解するのもなかなかたいへんだ。かつ、CEFR自体が「改築」や「妥協」という紆余曲折をへた、開発途上にある枠組みなのだ。異なる意見を取り入れようとした結果、増築をかさねた建物のように入り組んだ構造になっている。

 つまり、CEFRは入試のような競争的で厳密性が求められる試験に使える安定的な指標ではないのだ。それを本来の用途からはずれた形で「流用」しようとしている。さまざまな懸念が生ずるのも当然だろう。

 CEFRの特徴は、たとえば「ゆっくり話してくれれば基本的な単語を聞き取ることができる」といった具合に、言語能力を「~ができる」という、能力記述文(Can Do statements)であらわしていることだ。言語能力を具体的な現実対応の力で示したわけである。またcan doという言い方をすることで、減点法ではなく積み上げ型の形を示した。さらに、その能力を一番下のA1から一番上のC2の6段階で評価する枠組みになっている。

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