昭和の人気英単語集「でる単」が大学受験生から圧倒的支持を集めたこれだけの理由

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 通勤通学電車の中、車内で新聞・雑誌を読む人もめっきり減って、今ではスマホを見ている人たちばかり。そんな中でも昔と変わらないのが、受験生が英単語集を眺めながら英単語を覚えている風景だ。もっとも最近は英単語集もスマホ用のアプリがあって、そちらを使っているほうが多数派になりつつあるのかもしれない。

 いずれにしても、昔も今も受験生にとって英単語を覚えるのは難行の一つであることは間違いない。昭和の昔から多くの受験生が様々な出版社から出される英単語集を使ってきたが、「日本三大英単語集」というのをご存じだろうか。いや、正確にはそんな呼び名はないのだが、確実に存在する。それは『英語基本単語熟語集』(旺文社刊・通称“豆単”)、『試験にでる英単語』(青春出版社刊・通称“でる単”、関西では“しけ単”と呼ばれていた)、それに『英単語ターゲット1900』(旺文社刊)の3冊だ。

 なぜ、この3冊が「日本三大英単語集」なのか。それは発行部数が示している。ややデータは古くなるが、6年前の発行部数を見てみると、昭和17年刊行の「豆単」が累計で1700万部、昭和42年刊行の「でる単」が1500万部、そして昭和59年刊行の「ターゲット」が680万部である。一般に日本で最も売れた本というと、累計800万部を売り上げた『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子著・講談社)があげられる。上記中2冊はそれを軽くしのぎ、「ターゲット」もそれに肉薄しているのだから、いかに売れているかがわかるというものだ。

 なかでも英単語集において、エポックメイキングになったのが「でる単」だった。その誕生秘話をノンフィクション作家の本橋信宏氏の新著『ベストセラー伝説』をもとに見てみよう(引用はすべて同書より)。

 あまり著者に注目が集まる類の本ではないが、「でる単」はたった一人の高校教師による著作物である。著者は当時、都立日比谷高校の現役英語教師だった森一郎氏。

 日比谷高校は東大合格者数において、戦後第1回の入試から1967年まで第1位を誇ってきた。森氏はその日比谷高校黄金時代の教師である。当時、森氏を担当していた伊藤優美子が語る。

「森先生は明治時代からの英語入試問題を全部持ってらっしゃって、その中からコツコツ調べた重要語をプリントして生徒に配っていたんです。それが生徒たちに非常に評判が良かったんです」

 そのプリントを書籍化したのが『試験に出る英単語』だった。この本は三つの点において画期的だった。まず、従来のABC順に並んでいた英単語集ではなく、重要度順に並び替えたことだ。そして二つ目は、原則として一単語一訳語に絞り込んだことだった。

 例えば、「豆単」の最初がAで始まるabandon(見捨てる、断念する、ゆだねる)だったのに比べて、「でる単」の最初はintellect(知性)。

 そして、三つ目として、単語を1800語まで絞ったことだ。その昔、戦前までさかのぼれば「大学受験のために、コンサイス英和辞典を頭から全て覚えた」受験生がいたという逸話があった。大げさだとしても万単位に近い英単語を覚えようとしたのだろう。

 それを大きく覆したのが「豆単」で、教科書や入試問題から英単語の使用頻度を調べて3800語までに絞ったのである。そして、コンパクトな手のひらサイズの書籍にしたことがヒットにつながった。

 それをさらに1800語まで絞ったのが「でる単」だった。最初はこれだけの数で大学受験に立ち向かえるのかと不安になるが、森氏の「明治期以来の大学入試問題を精査して採録した最重要語」という決めゼリフが受験生を納得させた。実際に、この単語集を使った受験生が希望大学に合格していくことで、口コミでも広まっていくことになる。

「でる単」は受験生から圧倒的に支持を集めるが、マスコミから批判もされるようになる。いわく、1800語では足りない、覚える語順が名詞→形容詞→動詞というのは覚えにくい……。しかし、森氏は自らの英語教育には絶大な自信を持っており、批判を一笑に付す。

 前出の伊藤氏のもとには、こんな森氏の手紙が残っている。

〈「名詞→形容詞→動詞」の順を逆転して勉強すべきだという意見は、まったく何もわかっていないとしかいいようがない。そういうおろかな意見の人がいるものだから、小生の存在価値もあるのだと、たいへんうれしく存じつつ読んだ次第〉

 森氏がどれだけ自信を持っていたのか、こんなエピソードもある。伊藤氏の後任として、編集担当になった尾嶋四朗氏が言う。「でる単」を大幅に改訂しようとしたところ、

「先生は、『改訂する必要はないでしょう』と言う。なぜですか?と聞くと、『この本に載っている単語を使わないと、大学入試問題は作れない。英語のちゃんとした試験問題を作るなら、この単語集を必要とするんだ』とおっしゃる」

 1970年代半ばには「でる単」は年間の発行部数が100万部となり、「豆単」を凌駕するようになった。「豆単」の旺文社にしても、そんな状況をただ手をこまねいて見ているわけにはいかない。「でる単」にリベンジするため、教育出版社としての意地をかけて、新たな英単語集を生み出した。それが『英単語ターゲット1900』だった。

「でる単」が森氏の長年の経験による「勘ピューター」で作ったものならば、自分たちは徹底的にコンピューターで分析しよう――。そう考えた旺文社は毎年100大学の問題をコンピューターに入力して蓄積していった。このデータを元に試験に出る順に並べたのだ。

 結果、このリベンジは成功した。今も書店に行けば3冊とも手に入れることが出来るが、現時点で圧倒的に受験生から人気があるのは「ターゲット」となっている。

「日本三大英単語集」はいずれも昭和に出た英単語集ばかりである。残念ながら平成の時代にはこれら3冊を脅かすような英単語集は生まれなかった。令和の時代になって、AIが注目される昨今、次はどんな英単語集が生まれるのだろうか。

デイリー新潮編集部

2019年7月16日掲載

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