「男選びくらい間違えるなよ」彼女たちが虐待死事件の加害者男性ではなく被害者の母親をバッシングする理由

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私的「#KuToo」体験

 こう書くと地方で暮らす人を見下しているように誤解されるかもしれないが、保守的な考えで凝り固まっており、教養の欠如や、なぜその事件が起こったのか背景を想像する力が弱いように思える。

 最近読んだ高橋ユキ氏著の『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)に書かれていた、田舎ならではの悪い意味での協調性が地元の雰囲気とモロに被る。そしてなんだか、保守的で視野の狭い地元民を「地元を出て14年東京に住んで、仕事柄いろんな人の意見と刺激に日々触れている私は彼女たちとは違う」と、マウントを取っているような感じもして、自己嫌悪に似た感情に襲われてしまう。

 女性が女性をバッシングする。これが俗に言う「女の敵は女」の構造である。しかし、私は女の敵は女であると思いたくない。昔はそう思っていたが、歳を重ねるにつれ考え方が変わっていった。この理由については後ほど記述する。

 これらの女性同士の分断は2019年の流行語大賞にノミネートされた#KuToo運動にも見られた。この運動を提唱したフェミニストでライター・グラビアアイドル・女優の石川優実氏はイギリスのBBCによる、世界の人々に影響を与えた女性100人にも選ばれ、まさに今年大活躍したフェミニストの1人と言ってもいいだろう。

 そんな石川氏の主張はこうだ。

「履きたい人はパンプスを履いてかまいません。でも、足の痛みなどで履きたくない人には履かない自由をください。職場においてパンプスの強制は性差別にあたるので、女性も男性と同じようなローヒールの動きやすい革靴を履かせてください」と訴えている。

 この運動に対し、多くの人が賛同し3万人以上の署名も集まったが、一方でしつこく石川氏をバッシングする声も寄せられている。「そんな高いヒールで働かせる職場なんて限られている、嫌ならやめればいい」という自己責任系のバッシングから、「女性の足は大人になるとパンプスに合うように形が変わる」という、ネタですか? と突っ込みたくなるほどトンデモなバッシングまで多種多様であり、その模様は先日石川氏が上梓した『#KuToo 靴から考える本気のフェミニズム』(現代書館)に詳しく分析されてまとめられている。石川氏をバッシングする人の多くは男性と思われたが、意外と女性からのバッシングもあった。
 
 その内容の一例としては「自分は好きでヒールを履いているので、ヒールを履くことで自分は#KuTooに反対していると思われて履きづらくなる」「私は女性らしい格好が好き。男性と同じ靴に統一するなんて余計多様性が失われる」といった声だ。

 一番重要な「履きたい人は履けばいい、履きたくない人は履かなくてもいい」という主張が抜け落ちている。なぜこうした女性同士の分断が起こるのか、私なりに分析してみた。

  私自身、今はスニーカーか安定感のある太いヒールのブーツしか履かない。2年ほど前まではオシャレの一環でヒールのあるパンプスを履いてきたし、冠婚葬祭時には痛みを我慢してヒールのあるパンプスを履く。学生時代に短期間だけ働いた結婚披露宴会場での配膳バイトでは3センチほどのヒールのあるパンプスを強要され、痛みで自然と足とパンプスの接触面積を減らすような歩き方になり、パンパンと足音を立ててしまっていたことから、裏でお局さんにこっぴどく叱られた。

「靴が足に合わなくて痛いんです。申し訳ありません」と90度の角度でしっかりとお辞儀をして謝ると、お局さんは何とも言えない微妙な顔をしていた。おそらく、私がわざと音を立てているわけではないことに戸惑ってしまったのだろう。

 パンプスは支給ではなく自費での用意だったので、この靴が悪いのかもしれないと他にも3足別の靴を買ったが、一番履きやすいものは足の甲がほとんど覆われており、見た目的に職場には適していないものだった(パンプス代だけでおそらくバイト代のほとんどが飛んだ)。

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