“男性がトイレまでついてくる”“授乳をじっと見られる”災害避難所の性被害は「大したことじゃない」のか?

国内 社会 2019年11月1日掲載

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「わたしはフェミニストじゃないけど、女はたしかに生きるの大変かもね」

 そう言ったのは、わたしの友人だ。野球とサンタナの音楽が好きな大酒飲みで、アルバイト先で知り合って以来、もう十何年の付き合いになる。今は結婚して子どもがいて、年に1、2回しか会わない。会えば音楽や政治や社会問題や将来について、酒を飲みながら話し合う。

「でも、わたしは柊ちゃんみたいに直接女性差別を見たり、被害に遭ったりしたことがないからなあ」

 彼女は、まるで自分がそんな大層なことを語る資格なんてないとでも言いたげだ。わたしはそれを聞いて、胸の内で即座に問い返す。

 それ、本当に?

女性差別の被害者って誰のこと?

 彼女が「直接出会ったことがない女性差別やその被害」と言ったのは、わたしがこれまでに遭遇してきた性犯罪や性暴力のことだ。性風俗店に来る犯罪スレスレの迷惑客や、電車や夜道で遭遇した痴漢やぶつかり男たち。なるほど、それらとの遭遇はたしかに被害と呼ぶに相応しい。

 けれど、女性差別による被害というのは、そういった一見分かりやすい暴力だけの話ではない。上記に挙げた3点などを示して「被害に遭った」と主張した際に「その程度で被害者ヅラをするな」「冤罪かもしれない」「ブスの勘違い」などと言われるのが常態化していることをも含めて、女性差別なのだ。

 友人と話しながら、いまだ女性差別が当たり前になっている社会で生きるうちに、多くの女性たちが「女性差別なんて自分には無関係だ」と考えるようになっているのではないか? と改めて疑問がわいた。

 かつて、女性に参政権がなくて、勉強する権利もなくて、それが当然だとされていた時代があり、多くの女性が「上司にセクハラされた? そんなもの軽くかわしなさい」「電車で痴漢された? きみが魅力的ってことだよ」と、言われていた。それが当然だとされていた時代は、それほど遠い過去のことではない。

献血ポスター炎上と「直接の性被害」

 つい先日、日本赤十字社と漫画「宇崎ちゃんは遊びたい!」がコラボレーションしたポスターについてSNSで議論が巻き起こった。ポスターでは、漫画的手法でデフォルメされた大きな乳房で紅潮した頬の女性キャラクターが「センパイ! まだ献血未経験なんスか? ひょっとして……注射が怖いんスか?」と笑っている。

 このポスターについては、公共性の高い組織である日本赤十字社が女性を性的オブジェクト化したイラストを使用したという点だけでなく、男性(センパイのこと)が注射を怖がって献血できないことをからかうようなセリフを採用し(男性が注射を怖がっていけない理由はないし、様々な事情で献血できないひとに対するハラスメントになりかなねい文言だ)、それを公共の場に掲示したことで、議論が噴出した。

 このポスターについてTwitter上で様々な意見が飛び交う中、とある男性のツイートが目に入った(画像参照)。

 世の中には、より程度の大きな被害に遭っている者がいるのだから、それっぽっちのことでギャーギャーと騒ぎ立てるな、というわけだ。

 世の中には重大で悲惨な被害があるのだから、それより小さな被害には目をつぶれというのは、あらゆる被害を矮小化し、被害者の口をふさぐ、卑劣で野蛮な二次加害である。しかしこういった「みんな我慢してるんだから我慢しろ」といった意見は少なくない。

 こういった著しく偏った二次加害的意見が拡散されることの重大な問題のひとつは、「それもそうだよな……」と女性が思い込まされてしまうという点だ。

 飲み会の席でしつこく下ネタの標的にされたり、体に触られたり、顔や体形についてからかわれたり、道端で意図的にぶつかられたり、夜道で後をついて来られたり、ナンパを断って「調子に乗るなブス」と捨て台詞を吐かれたり……そういったことは、レイプされたり殺されることを考えたら、大したことじゃない。被害ですらない。そう考えている女性は多いだろう。日本社会では、その程度のことは笑って受け流すのが、できた女性の嗜みなのだ。たとえそれを自分がどんなに苦痛に感じていようと、仕事をクビにされたりレイプされたり殺されたりするよりはマシなのだから、我慢してしかるべきなのだ。

 そういった女性に対する見えない強要と抑圧によって、性犯罪被害の少ない安全な国・日本は成り立っている。

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