“男性がトイレまでついてくる”“授乳をじっと見られる”災害避難所の性被害は「大したことじゃない」のか?

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自分の感情を信じられない女性たち

 痴漢に遭えば、「その程度ですんでよかったね」「勘違いじゃないの? 冤罪ってこともあるんだよ」と言われ、女性を性的に誇張した広告を批判すれば「広告とあなたは関係ないだろう」「2次元に嫉妬するな」と言われ、日本女性の多くは自分の感情を信じられなくなっている。

 不快を表明することはヒステリーで、男性の性欲を受け入れる(あるいは受け流す)のが、大人の女性の嗜みだとされている。だが、男性は女性の恐怖や不快を受け止めることはない。女性の胸元を強調したポスターへの批判が不愉快だと感じれば、批判した女性に対して、「ババアが何を勘違いしてやがる」と感情的にまくしたてることを、自分たちに許可している。これは一見してあきらかに不均衡である。

 なおかつ日本は男性優位社会だ。首相以下多くの政治家は男性であり、企業の重役もテレビ番組の司会者も学校の偉い先生も家庭の大黒柱も、ほとんどが男性である。女性は男性よりも賃金を低く設定され、妊娠出産で長期休暇を取る可能性があるから出世できず、大学入試で不当に不合格にされ、社会への進出を大きく阻まれている。そんな不平等を、「男性のほうがリーダーシップがあるから」「男性のほうが理論的だから」「男性のほうが学力が高いから」などと体のいい言葉で偽った上で、男性の意見が通りやすい社会ができている。

 女性を無力化する社会で、優位な立場にある者から「お前の感情は間違っている」とくり返し言われれば、それをはね返し続けるほうが難しいだろう。

 女子高校生を対象にした性差別のアンケートと自己肯定感に関する記事では、メディアやインターネットで日常的に性差別を目撃したり経験したりする、という回答とともに、「今の自分を好きだと感じる」と答えたのはわずかに8.3%という結果が出ている。

 さらに「私は価値のある人間だと思う」「私はいまの自分に満足している」に「そうだ」と回答したのは、それぞれ男子14.1%女子5.3%、男子12%女子5.6%であるとのこと。

 この数字の相関は「わたしが辛いのは、わたしが女として間違っているからだ」と信じて苦しむ子どもたちの悲鳴に聞こえる。

 女性の苦しみは間違ってなどいないのだ。間違っているのは女性への加害を黙認し、「あなたより辛い目に遭っているひとがいるんだから我慢しなさい」などと言って口をふさぎにかかる社会のほうだ。

 加害するな、と声を上げることは難しいかもしれない。

 女性の性的オブジェクト化を不快だと表明することは、勇気がいるだろう。

 本当にそう言っていいのか?

 わたしの感情が単なるヒステリーってことはないだろうか?

 こんなことを被害だなんて言っていいんだろうか?

 わたしは本当に正しいのか?

 そこで立ち止まり、それより先に進めなくなる気持ちが、わたしには痛いほどよく分かる。「そんなモノだ」とあきらめるほうが簡単で、短期的には安らかだからだ。

「わたしは柊ちゃんみたいに直接女性差別を見たり、被害に遭ったりしたことがないからなあ」

 でも、それって本当に?

 辛いことを直視しろ、と強要することはできない。けれど、どうかこのテキストを読んだすべての女性に知っておいてほしい。

 あなたがもしも、女性として不快だと感じることがあるならば、女性として生き難いと感じることがあるならば、それはこの社会に女性のあなたを軽んじ、蔑む思想があるからなのだと。それこそを、女性差別というのだということを。

柊 佐和(ひいらぎ さわ)
フリーライター。フェミニスト。元セックスワーカー。1983年生まれ。高卒で入社したブラック体質の就職先を1年で退職しアルバイターになる。27歳から断続的にライターとして活動。セックスワークを経てフェミニズムと出会う。SNSを通して日本の女性差別とセックスワークの構造に対する批判を展開する。
twitter @00_carbuncle_00

2019年11月1日掲載

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