木下優樹菜「タピオカ騒動」 ヤンキー好きの日本人もNOを突きつけた理由

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ヤンチャ礼賛はもう終わり? 元ヤンタレントが本当に見せるべき力とは

 そもそも今回の事件に「ヤンキー好き」の世間がここまで反応したのは、木下の行動以上に、そのやり口だった気もするのである。日本人の「ヤンキー好き」気質にはそぐわない、なんとも小物感漂う手口が垣間見えるからだ。

 無様だろうが負け戦だろうが、己の肝っ玉と腕っぷしのみで戦う。日本人がヤンキー好きなのは、そんな向こう見ずな姿に、美学や魅力を感じる部分があるからだろう。しかし今回の木下は真逆だった。SNSのDMという人目につかないところで、事務所や週刊誌の力を盾にして相手を脅す。謝罪はしたものの、第三者に話すなと口止めをする。ヤンキー好きにしてみれば、なんともコソコソと卑怯に見えるだろう。にもかかわらず、「私はヤンキーなんで曲がったことは許せない」と言うことは、「ヤンキーの風上にも置けない」と反感を食らったのではないだろうか。

 ケンカっ早さや乱暴さ、非常識ぶりを見せて売れたヤンチャタレントの時代は終わったのだ。窃盗していた過去を自慢げに明かしたあびる優は、かつて活動自粛に追い込まれた。特権的にヤンチャにふるまっていた和田アキ子さえ、パワハラだ老害だと叩かれるほどである。ヤンチャさは、見せるのではなく感じさせるもの。ナメんなよ、とすごむのではなく、ナメられた時こそ悠然と構えて相手を受け流す。手の早さより、怒りを飲み込む早さにこそ見えるヤンチャさ。ヤンキー好き日本人が求めるのは、そういうヤンチャさではないか。

 かつて「芸能界は更生施設」と発言したこともある木下。しかし、反省して更生したんだからチャラ、という姿勢は通用しなくなってきたご時世である。ライバルだらけのママタレ界で、差別化を図るため元ヤンぶりを持ち味にしていたふしもあるだけに、今後のキャラ転換はそう簡単ではないだろう。「事務所総出」で木下がやるべきことは、訴訟をちらつかせる恫喝ではなく、イチからのタレントイメージ戦略ではと思う次第である。

(冨士海ネコ)

2019年10月31日掲載

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