少年野球の子どもたちの顔が「暗い」理由――慶應義塾高校野球部を甲子園出場に導いた前監督が自戒を込めつつ分析

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なぜか誤解される「根性」の正体

 上田さんが指導者として薫陶を受けたのが、慶應義塾大学野球部監督(当時)の前田祐吉さん(故人)である。筆者は前田さんが書いたものを、高校時代に読んだ。日本の野球に修行的要素が強い背景を解き明かしていた。こんな感じだったと記憶する。「明治以降に輸入された野球は、スポーツ――本来は楽しむもの――という概念がなかった日本において武道に根を下ろし、野球道となった」

 野球には武道のように「型」を覚えるための「素振り」がある。サッカーにはシュート練習のために足を空振りするトレーニングはあるのかな? そして野球のデフォルトは長時間練習。これは艱難辛苦に耐える力を培うためなのか? 加えて圧迫的な指導にくじけることなくがんばらねばならない。

「でもな、長時間練習に耐え、罵声のような重圧にも負けない根性を身につけないと野球選手としてはもちろん、立派な社会人になれないんだッ」

 そんな「忠告」をしたくなる方もいるだろう。でも、と上田さんは言う。「長時間練習をしたり、罵声指導を受けたりしなくても根性はつく。そもそも根性に対する誤解がある。人から強制され、それに耐えることでつくのが本当の根性ではないんです。うまくなりたいと思って、自分で工夫して練習する。それを地道に継続する。それが根性をつける唯一の方法だと思います」

「根性」を辞書で引けば「苦しさに耐えて成し遂げようとする強い精神力」(『大辞泉』)とある。他人から強制される意味合いはない。

「全体の練習は2、3時間でも構わない。少年野球ももっと個人練習の機会を設ければ良いんです。プロ野球選手のキャンプはそういう感じですよね。慶應の監督をしていたとき、選手自身が考えて工夫することの大切さを言ったら、『慶應だからできるんです。うちの子たちに考えさせたら何するかわかったもんじゃない』とよく言われました」

 なるほど、“偏差値が高い”選手たちだからという指摘はありそうである。「ところが『うちはできない』と言う指導者に限って、実際にはそういう機会をつくっていない。本来ならカテゴリーが下になるほど、個人練習をたくさんやらないと、うまくならないはずなんですが」

大人こそ勉強するべきである

“パパコーチ”になって筆者が感じたのは、うまくなる練習の方法を、自分が知らないことである。「野球をやるのと教えるのは違う」と日々、痛感するのである。

「オマエが下手だったからだろッ」とまた罵声が飛んできそうだけれども、指導者も“パパコーチ”も、多くが「投げる」「打つ」「捕る」の基本的なスキルを向上させる方法をあまり知らないのではと筆者は思っている。

 せいぜい言えるのは、原則論、すなわち「投げる」→「肘をあげろ!」「打つ」→「ボールをよく見ろ!」「捕る」→「正面に入れ!」くらいじゃないかなあ。

 原則論では上達しない子もいるのだが、そうした選手を量の練習(=長時間)で底上げすることも可能である。そんな感じで強くなっているのだろうと思えるチームを見ることもある。

 とはいえハードな日々に付き合う親はたいへんだ……「『金曜日になったらノイローゼになる』と話すお母さんに会いましたよ。明日から土日だ、朝は5時半集合で、練習中はお茶当番。気持ちがふさぐそうです」(上田さん)

 チームで終日練習しなくてもうまくなる方法があればなあ。上田さんは言う。「大人が勉強をすることです。それで『こんな個人練習の仕方があるよ』と子どもに教えてあげればいいんです。それでチームでつくった個人練習の時間に、『守備をしたければ俺のところへ来いよ』『打撃なら、あっちのコーチのところに行って』とかやれば良いでしょう」

 自分で課題を見つけて解決する。課題解決力になるな。何だか今っぽい。

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