CIAスパイ養成官「キヨ・ヤマダ」は売国奴だったのか

国際 2019年10月24日掲載

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 2015年8月、米バージニア州アーリントンは抜けるような青空が広がっていた。

 筆者は首都ワシントンD.C.で開催されていたシンクタンクの会議を終え、あとは当時暮らしていたマサチューセッツ州ボストンへ戻るだけだった。だが、帰途に就くまえに、以前からどうしても気になっていたアーリントン国立墓地に立ち寄ることにした。

 アーリントン国立墓地を訪問してみたいと思ったのは、知人女性との雑談がきっかけだった。以前、D.C.近郊で暮らしていたというこの知人は、その当時に「興味深い女性」と知り合ったと話した。在米の日本人主婦が、友人だけを集めて開いた、小規模なホームパーティでのことだったという。

 知人が直接聞いた話によれば、その女性の名は、キヨ・ヤマダという。日本で生まれ育ったキヨは、戦後しばらくして渡米し、アメリカ人と結婚。そのあと、アメリカの諜報機関であるCIA(中央情報局)に入局した――。

 初めて知人からこの話を聞いた2014年の時点で、キヨ・ヤマダはすでに他界し、アーリントン国立墓地に埋葬されている、とのことだった。そこで、D.C.への出張に合わせて、初めてアーリントンを訪れたのだった。

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 これは最近上梓した拙著『CIAスパイ養成官―キヨ・ヤマダの対日工作―』(新潮社)(https://amzn.to/2P8dhJI)からの抜粋(一部修正)だ。このノンフィクション作品では、戦前に生まれた日本人女性が、軍国主義的な時代の日本の中で育ち、日本という国を一変させた戦後の混乱期に日本を離れ、米国で諜報機関に入っていく軌跡を追った。日本語インストラクターとして入局したCIAでは、対日スパイ工作にも関与するなどして、局内で多大な評価を受けていた。

 キヨの教え子たちは、沖縄返還、ロッキード事件、反共産主義工作、日米貿易摩擦などで指摘されているCIAによる戦後史の裏で暗躍し、さらにキヨ自身も日本での工作活動を支えたり、スパイをリクルートするなど諜報工作にも関与していく。日本の有力者を諜報員に紹介するようなこともあったという。

 出版後、拙著に対する様々な反応に触れている。そんな中でも興味深かったのは、CIAで対日工作に関与したキヨ・ヤマダが「売国奴」だったのではないかというものだった。ある著名人からも、インターネット上でこの本こそ「売国の実態」であるとコメントをいただいた。

 拙著の取材では、米国人だけでなく、米国へ移住した外国人たち、そして米国に移住した日本人など多くに話を聞いた。そんな彼らとの対話を通じて、日本のみならず、欧州から移住して米国に暮らす人たちの苦悩なども耳にした。移民大国の米国ではあるが、移民の多くは、簡単には越えられない「米国人」の壁を感じ、心の奥深くでどこか疎外感を抱いているのが印象的だった。そんな社会の中で、キヨ・ヤマダはCIAで自分の居場所を見つけることになるのだが、そのあたりの詳細は拙著に譲りたい。

 結局、彼女はCIAで対日工作を行った「売国奴」だったのか。取材から見えたキヨ・ヤマダは確かに米諜報機関の手先として働いていたが、彼女の人生を紐解いていくと、「売国」という言葉では片付けられるものではないことがわかる。

 俯瞰すれば、対日工作を行っていた時点で、日本人から見れば「国を売った」という印象を受けるだろう。ただ日本とアメリカの関係においては、そんな単純な構図では括れない。そもそも戦後の日本が世界から奇跡的と言われる経済発展を遂げ、現在は経済的に失速して「失われた時代」が続いている状態ではあるが、世界的に見て裕福な国家になれたのも、米国が日本にもたらした対日工作があったから、という側面もある。

 もちろん、日本の政治家などの中には、戦後に日本人である矜恃を失わないよう米国と対峙しながらこの国を形作ってきた者もいたが、それでも、米国が日本に軍事・安全保障の面で「傘」と「安心」を与え、日本人がそれを甘んじて受け入れ、恩恵に与かってきた事実は消せない。そのおかげで、日本は経済分野にリソースを集中させることができたのである。米国からしてみれば、それは反共政策という自分たちの利害のためだった、としてもである。

 そして、そんな日本のあり様を受け入れ、民主主義国家の日本で、米国に依存する日本を作り上げたのは私たち日本人に他ならない。つまり米国なしには独り立ちができない日本は、日本人自身の選択の結果なのである。そう言う意味では、日本という国の安全をアメリカという他国に委ねた私たちは皆、「売国奴」だと言えるのではないだろうか。

 一方で、筆者が取材で会った米国に移住した日本人の中には、戦前に生まれ、戦後間もなく米国に渡った人たちも多かった。彼らは米国で厚い壁を感じながら、日本人である自分のアイデンティティを強く持ち続けていた。

生き様

 例えばキヨ・ヤマダと親しかった年配の日本人女性2人にインタビューをした際に、こんなことがあった。

 取材後、自動車で訪れていた筆者に、この女性たちは行きたいところがあると言う。そこで一緒に、D.C.の郊外にあるバージニア州フェアファックス郡の郡政府センターに向かった。

 実は同センターの敷地内にある公園の片隅には、第2次大戦で日本軍に強制されたとされる従軍慰安婦のための記念碑が設置されていた。探すのに苦労するほど離れた一角にあったこの記念碑は、D.C.の韓国系組織であるワシントン慰安婦問題連合が、この地域に暮らす韓国系住民だけでなく、議会議員などにもロビー活動を行って2014年に設立を実現させたものである。

 フェアファックスの記念碑を前にして、彼女たちは首を傾げながら、こういう石碑は「信じられないことよね」「許してはいけないと思うわ」「なぜこのような物を作るのか、目的がわからない」と嘆いた。帰りの車の中でも、彼女たちは「もちろん韓国系の友人もいる」が、「日本は詫びて、戦後に時間をかけてすべて解決してきたことではないのか」と熱く語っていた。

 彼女たちとのやり取りでは、日本人としてのアイデンティティを強烈に持っていることを痛感させられた。彼女たちは、身の回りには日本製品を置き、日本車に乗り、出来る限り日本食を食べている。仕事をきっかけにして米国には移住したが、やはり日本への想いは強い。

 米国という「人種の坩堝」の中にいるからこそ、周りから「日本人」の代表として扱われ、日本人であることを強く意識することになる。その中で日本の良い面も悪い面も、それぞれが考えるようになるのである。筆者が会ってきた人たちを見ると、そうした経験を通して日本人であることを誇りに思っている人が多かった。海外に長期間暮らした日本人の多くが「日本びいき」になるという話を聞いたことがある人も多いだろうが、そういう背景があるのだろう。

 そして、それはキヨ・ヤマダも一緒だった。彼女は晩年、CIAに入って「初めて米国に受け入れられたと感じた」という言葉を残している。そんな彼女も、自動車は常に日本車だった。遺品からは、長く疎遠だった家族の写真などだけでなく、数多くの日本語の新聞の切り抜き、山田家の過去帳や数珠、日本で卒業した大学の証書など日本らしいものが次々と出てきた。明治から大正時代の詩人、上田敏による『上田敏詩抄』なども大事に保管されていた。日本の文化や歴史に関する本もたくさん遺されていたという。

 彼女の人生には、「売国奴」などという言葉では言い表せない生き様があったのである。もっとも、彼女は自分の可能性を信じて米国に留学し、思いがけず主婦になって、後にCIAに入ったが、自分の人生を懸命に生き、置かれた環境でベストを尽くしただけに過ぎない。

 こうした背景を踏まえて、キヨ・ヤマダという日本人女性が本当に「売国奴」だったのか、もっと言えば「日本とは一体どういう国なのか」というところまで、拙著から考えるきっかけにしてもらえれば、と願わずにいられない。

山田敏弘
国際ジャーナリスト、米マサチューセッツ工科大学(MIT)元フェロー。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版などに勤務後、MITを経てフリー。著書に『ゼロデイ 米中露サイバー戦争が世界を破壊する』(文藝春秋)、『モンスター 暗躍する次のアルカイダ』(中央公論新社)、『ハリウッド検視ファイル トーマス野口の遺言』(新潮社)、訳書に『黒いワールドカップ』(講談社)など。数多くの雑誌・ウェブメディアなどで執筆し、テレビ・ラジオでも活躍中。

週刊新潮WEB取材班編集