CIAスパイの巧みな「人心掌握術」 諜報員はどうやって「協力者」を囲い込んでいるのか

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 特定の勢力に不自然におもねった論調をメディアや識者が述べたときに、「某国の工作員じゃないか」といった批判が寄せられることはネット上では珍しくない。多くの場合、実際に工作員という証拠があるわけではない。その言動を見ての印象批評だ。最近では、特定の国にシンパシーを寄せすぎるテレビのコメンテイターあたりも「工作員」呼ばわりされることもある。

 実際に国際社会では、諜報員を使って、現地で工作員を調達するようなことは日常的に行なわれている。ただし、当然ながら見えないように作戦は進行しているので、表には出ない。我々素人が「工作員」の存在に気づくことはまずない。

 そして、こうした工作は敵国ではなく同盟国に対しても行われている。その貴重なプロセスが記録されているのが、『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(山田敏弘・著)である。

CIAで諜報員を養成した「日本人女性教官」

 同書の主人公は、キヨ・ヤマダという日本人女性。彼女は複雑な経緯を辿って、アメリカ・CIAで諜報員を養成する仕事についていた。相手国で活動するには、単に現地の言葉ができるというだけでは不十分だ。日本なら日本人の思考法、慣習を頭に入れる必要がある。それらを教えるのが彼女の大事な任務だったのだ。

 そして、ある時には新聞記者を取り込む作戦にも関わっていたという(以下、引用はすべて『CIAスパイ養成官』より)。少し前の話ではあるが、どのようにして現地に協力者を得るかがよくわかるエピソードだ。

 時代は1970年代。

「CIAの諜報員が、ある全国紙の名の知れた記者を、エージェント(現地の協力者)として取り込もうと画策していた。しかも協力者に仕立てて情報を提供させるだけでなく、記者を意のままに動かすことまで狙っていた。記事の方向性などに影響力を行使できれば、日本に対する世論操作にも使える。

 ある日のこと。この諜報員は、目を付けていたその記者が大けがをしたことを知った。しかもしばらく入院することになるとの情報を得たことで、日本語が達者なこの諜報員は、出張で日本に滞在していたキヨに、アドバイスを求めた」

 ここで彼女は、入院先を探して病院に片っ端から電話をかける際に、少し威厳ある物言いで尋ねるように指示をした。

「見舞いに行きたいのだが、○○新聞で記者をしている××さんは、そちらに入院しているということで間違いないかね」

 今よりもプライバシー感覚が薄かった時代。会社の上司のような物言いに、病院の受付もナースもすぐに調べて答えてくれる。

 こうして入院先が判明すると、諜報員はさらにキヨの指示に従い、記者の署名記事を調査したうえで、ジャーナリストとしての仕事ぶりや記事の内容を褒め称える手紙を書き、入院先に送った。

「私はあなたの仕事ぶりを尊敬しております」

 そして、手紙が届く直前のタイミングを見計らって、諜報員は見舞いに行く。

「突然の見舞いで、大変失礼いたします」

「どなたですか?」

 記者が見知らぬ外国人の訪問に面食らっていると、

「米大使館の政治担当オフィサーをしている者です。普段から、あなたの仕事には感服しており、入院されていると聞き及びまして、たまらずお見舞いにまいりました」

 これで悪い気がするはずもない。

「まあ、お座りになって」

 あっけなく、諜報員の見舞いを受け入れたという。その後、諜報員は通り一遍の話をして去る。すると、直後に入院している記者あての手紙が届く。

「それは、見舞客が決して怪しい者ではなく、正真正銘の『米国政府関係者』だったとわかるような丁寧な手紙だった」

 このあと、諜報員は見舞いを持ってはまめに記者のもとにやってくるようになった。そうした際に何が喜ばれるかなどは、キヨの授業から得た知識が活かされた。

 こうして親しくなっていきながら、諜報員は相手の弱みを探る。そして、ある時、ついに記者がこんな本音を漏らした。

「いやあ、入院なんて予想もしなかったのでね。入院費の支払いもたまってしまって、大変な状態ですよ」

 ここで諜報員が「しめた!」と思ったのは言うまでもない。しばらくして諜報員は「治療費の足し」の援助を申し出る。

「こうした努力が実り、このベテラン記者は退院後、金銭を受け取る立派な協力者となった。

 それ以降、記者はその職務にあるからこそ得られる政府や企業の情報をCIAに提供するだけでなく、CIAの望む通りの記事を書き、その関係は、記者が新聞社の論説委員になってからも続いた(略)

 実は、過去を振り返っても、大手新聞社にはこうしたCIAに取り込まれた協力者が少なくないという。マスコミに対するこの手の工作は、戦後にアメリカの心理戦略委員会(PSB)が日本に対する心理戦を展開するようまとめた1953年策定の『PSB-D27(対日心理戦略計画)』という機密文書で明確に指示されている」

 このような事実を示されると「やはり日本はアメリカに支配されていたのだ!」と思う方もいるかもしれないが、それは少々早とちりというものだろう。かねてから「スパイ天国」と言われるだけあって、日本でこの手の工作をしていたのはアメリカだけではない。北朝鮮の工作員がどれだけの犯罪行為に手を染めてきたかを考えればいいだろう。ロシア、中国、韓国等々もそれぞれの活動を行っていたし、おそらくは今も展開中である。その意味では「工作員では?」と勘繰るのもあながち間違ってはいないのだ。

デイリー新潮編集部

2019年9月6日掲載

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