アルビレックス新潟がミャンマーでデフサッカーを支援 現地取材で分かった苦労

スポーツ 2019年10月23日掲載

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飛び込みで指導を依頼

 Jリーグの各クラブが、東南アジアでCSR(社会貢献活動)をしていることはあまり知られていない。

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 例えば今年の8月には、「セレッソ大阪」がマレーシア、タイ、ミャンマーから15名を招待して大阪遠征を実施したり、「北海道コンサドーレ札幌」がタイのサッカー少年60名を北海道に招いてトレーニングキャンプを実施したりした。

 他にも「FC東京」がインドネシアの「バヤンカラFC」に指導者を派遣したり、9月には「湘南ベルマーレ」がフィリピンでサッカーの指導を行ったりした。

 そうした活動の中で異彩を放っているのが、ミャンマーで耳の不自由な子どもが通う聾学校でサッカー(デフサッカー)の指導を行っている「アルビレックス新潟ミャンマースクール」だ。

 2018年より指導に当たっている米山信介さんはミャンマー代表の監督も務め、11月に香港で開催されるデフリンピックのアジア予選に向けて日々の練習に励んでいる。デフリンピックとは4年に1度、世界規模で行われる聴覚障害者のためのスポーツ競技大会のことだ。

 アルビレックスがミャンマーでスクール事業を始めたのは14年9月のことだった。すでにシンガポールではプロチーム「アルビレックス新潟シンガポール」を持ち、シンガポールプレミアリーグで優勝3回を誇る強豪チームであり、元Jリーガーも数多い。

 そしてシンガポールだけでなくカンボジアやマレーシアでもスクール活動を展開していたが、ミャンマーにはスクールがないということで、シンガポールやカンボジアでスタッフとして働いていた村中翔一さんが「アルビレックス新潟ミャンマー」を立ち上げた。当時のことを米山さんに聞くと、次のような説明があった。

「最初のきっかけは、14年に私の前任である村中がミャンマーに来た時に、最初は指導の当てがあるわけではなく、本当に最初はゼロからのスタートで来て、ちょっとずつ指導先を増やしていったんです。日本人なので、最初は日本人学校に行ったんですよ。『指導させてください』ということで行ったんです」

 日本人学校を訪れてみると、その向かいにある聾学校でも、生徒らが学校内の敷地でサッカーをしているのが見えたという。

「そこで聾学校も訪問し、『我々はサッカースクールもやっていたので、指導させてください』ということで、そこからの始まりです。目的があってやったわけではなくて、たまたま環境があった。スポンサーもついていなくて、学校側にも『我々は指導できるのでやらせてください。お金を取りません。無償でやります』ということでスタートしたんです」

マレーシアの大会に招待

 村中さんが赴任当初は日本人学校の校庭を借りることもできず、練習場の確保にも苦労したそうだ。しかし地道な活動が実を結び、日本人学校の校庭を借りられるようになり、日本人学校と有料のインターナショナルスクールの生徒は合わせて150人にも増えた。

 そして「無償でやります」と声をかけたのは「マリーチャップマン聾学校」。ミャンマーには聾学校が3校あるが、全寮制の学校は「マリーチャップマン聾学校」だけだ。

 校庭では子供たちがサッカーを楽しむ。聾学校での週3回のスクールは営利事業ではないため無料で行い、代わりにスポンサーを募ってユニホームを作り、中古のサッカーシューズを寄付してもらうなどして徐々に練習環境を整えていった。

 指導者の生活費などは「最初は新潟シンガポールの持ち出しでした。いまはサッカースクールと日本人学校、日本人のお子さんに対するサッカースクールとインターナショナルスクールにもコーチを派遣していて、そこでのスクール費で生活しています」と米山さん。

 そんなメリーチャップマン聾学校の生徒たちにとって転機となったのが16年の海外遠征だった。私立の全寮制の学校で、下は幼稚園から上は高校3年生まで、男女合わせて400人くらいの生徒がいる。そして「普段は外に出ることもなく、学校の中ですべての生活が成り立つ」(米山さん)環境だった。

 それが16年の9月、12月にマレーシアで開催される第1回ASEANのデフサッカー(聾者サッカー)大会に招待された。校長から話を聞いた村中さんは「出場しましょう」と即答した。しかし学校には遠征費などに割く予算はなく、アルビレックス新潟シンガポールの内部からも参加費用を不安視する声があったそうだ。

 そこで村中さんは、スポンサー企業やサッカースクールの保護者に募金をお願いした。しかしマレーシアへ行くためには他にも多くの問題があった。米山さんが「学校の中ですべての生活が成り立つ」と指摘したように、パスポートはもちろんのこと、住民登録カードすら持っていない子供たちがいた。あまりのハードルの高さに、学校側も海外遠征には消極的だった。

 村中さんの決断は早かった。校長と一緒に航空会社を訪れ、人数分の航空券5000ドルを現金で支払った。もちろん村中さん個人の、手持ち資金の、ほぼ全額だった。これには校長も驚いたようで、すぐにパスポートの取得など手続きは無事にすみ、12月4日から始まった大会ではタイ、マレーシアと対戦。試合は大差で敗れたものの、デフサッカーのミャンマー代表として初の国際舞台を経験した。

 現アルビレックス新潟の是永大輔CEOは、サイト「日刊にいがたWEBタウン情報」に「【アルビ社長日記】僕らはサッカーをすることで、飛び越えるんだ。」を連載している。10月1日の記事には、国際大会に初めて出場した時のことが取り上げられた。

《開催地は、マレーシアだ。学校の敷地から出るだけで苦労するほどなので、もちろん海外に出たことなどあるわけがない。もしかしたら一生取得することのなかったパスポートを取得して、もしかしたら一生乗ることもなかった飛行機に乗って――、みんなでクアラルンプールに降り立った。そして、もしかしたら一生見ることもなかった高層ビルが林立する景色を目の当たりにした。彼らはサッカーをすることで、国境を飛び越えた》(註:デイリー新潮の表記法に合わせ、改行などを省略した。以下同)

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