リーチマイケル、中島イシレリ……W杯日本代表の帰化選手は8名、昔と違う名前の事情

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昔は「日本人的氏名」が基本

 だが、ここで疑問を持つ方も多いだろう。「どうしてラモス瑠偉は名前の一部で漢字を使ったのに、リーチマイケルは全部カタカナでOKなのか」と。

 結論から言えば、少なくとも今は個人の自由ということになる。帰化の歴史を遡れば、かつては「日本的氏名を用いる」という規定が存在した。アイ・ビー飛鳥行政書士法人で代表を務める梶山英樹行政書士が解説する。

「私どもは1970年代から帰化申請のサポート業務を手がけています。その頃の古い資料を見ますと、例えば横浜の高級中華料理店『聘珍樓』の経営者、パンチュウシンさんの依頼を引き受けましたが、日本国籍を取得されて林達雄さんになられました。以前のお名前とは全く関係のない、日本人的な名前になっていることが分かります」

 こうしたケースで最も知られているのが、パトリック・ラフカディオ・ハーン(1850~1904)が1896年に帰化して日本国籍を取得し、小泉八雲になった例だろう。

 ところが、この「日本的氏名を用いる」という規定は1980年の国籍法、戸籍法の改正に伴って削除された。読売新聞が87年6月に報じた「韓国姓への復姓認める 帰化二世が申し立て/京都家裁」という記事に、以下のような記述がある。

《六十年一月の国籍法、戸籍法改正で、法務省は「帰化許可申請の手引」にある「日本的氏名を用いる」という規定を削除、漢字かカナなら外国姓のままで、帰化が可能になった》

 この改正によって、基本的には、ラモス瑠偉やリーチマイケルという名前が認められたことになる。さらに結婚が影響を与えるケースもある。

「夫婦の国籍が異なる国際結婚では、夫婦別姓が一般的です。しかし外国籍だった方が帰化して日本人のパートナーと結婚され場合は、日本人同士の結婚と全く同じです。そのため、夫婦同姓となります。その時に外国籍だった夫が、日本国籍の妻の姓を選択することは、決して珍しいことではありません」(同・梶山行政書士)

 これに近いケースが中島イシレリ選手(30)だ。トンガ出身で、もともとはイシレリ・ヴァカウタという名前だった。そして14年に中島理恵さんと国際結婚。それから15年に帰化した際、改めて妻の「中島姓」を自身の名に加えて申請したという。

 行政書士アエラス法律事務所の代表を務める瀬戸了輔行政書士は、帰化申請時の「漢字とカナの割合」について、次のように言う。

「私の個人的な経験から言いますと、元の国籍が非漢字圏の方を含めても、全てカタカナで申請されるより、1字でも漢字を加える方のほうが多いですね。『せっかく日本人になるのなら、日本の漢字を名前に使いたい』と考えられるようです」

 ラグビー日本代表の場合、帰化した選手8人のうち、全てカタカナの選手は6人と多数を占める。漢字組が少ないという珍しいケースなのかもしれない。

 改めて表に戻れば、日本の高校や大学でラグビーを経験した“外国生まれの選手”が少なくないことに気付く。

 表の18人のうち、10人が日本の学校における“ラグビー部”を体験している。「3年以上、継続して日本に居住」のルールを適応して日本代表に選出された外国籍の選手は7人にのぼるが、うち3人は日本の高校や大学でプレーしているのだ。

 たとえ外国人選手でも、日本とつながりを持った者が代表に選ばれたことがよく分かる。だからこそ“ワンチーム”なのだろう。カネの力で、縁もゆかりもない“助っ人ガイジン”を多数、雇ったわけではないのだ。

週刊新潮WEB取材班

2019年10月19日掲載

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