ハンストのナイジェリア人男性が飢餓死するまで 調査報告書を読んだ医師が解説

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 前代未聞である。長崎県の大村入国管理センターで、一時的に外に出られる「仮放免」を求めてハンガーストライキを行っていた40代のナイジェリア人男性が、今年6月に「飢餓死」していたというのだ。入管施設でのハンストによる死亡はむろん初。法務省出入国在留管理庁が公表した調査報告書を基に、約1カ月に及んだハンストと餓死するまでの経緯をレポートする。

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 男性は2000年に入国。薬物事件や窃盗などで実刑判決を受け、仮釈放された15年11月から大阪の入管施設に収容され、国外退去命令を受けた。16年7月、大村入国管理センターに移送。大村入国管理センターでは、6カ月ごとに健康診断を行っており、男性は皮膚炎や急な発熱を除いて異常はなかったが、今年1月は受診を拒否したという。

 では、調査報告書の一部を紹介しながら、亡くなるまでの容体の変化をお伝えする。

〈同年2月及び5月に大村センター診療室が再度健康診断を実施しようとした際も、本人は「私は健康である。」、「私の体は、私が一番よく分かっている。健康診断は必要ない。」などと述べて受診を拒否した。なお、本人は、平成31年1月に健康診断を拒否した際、面接した看守職員に対し、「日本で子どもが生活しており、子どものためにも自ら帰国することを選ぶことはできません。」などと述べていた。〉

 男性は、日本人妻との間に子どもをもうけた。しかし、離婚し、元妻が子どもを引き取ったようだ。ハンストが発覚したのは、5月30日だった。

〈5月30日、看守職員は、他の被収容者から、本人(他の3名の被収容者とともに共同室に収容。)が最近摂食していないとの情報提供を受けて本人の面接を実施し、本人が摂食していないことを認めたため、本人に対し、少しずつでも摂食するよう説得した。なお、面接の際、本人は、1週間ほど前から摂食していない旨述べるとともに、「約10年間の自由がありません。仮放免でも強制送還でもいいので、ここから出してください。」などと述べた。〉

 男性は身長171センチ、体重は5月30日の時点で60・45キロだったという。

 翌31日、拒食の報告を受けた診療室の医師は、男性に点滴と採血を行おうとしたが、拒否された。その後、彼が腹痛を訴えたため、近隣の病院で受診させたという。腹痛は、検査の結果異常所見は見当たらなかったが、脱水症状があることから、点滴を行った。大村センターに帰所後、それまでいた共同室から個室に移し、監視カメラを据えた。翌日以降、健康状態を把握するため、毎朝、血圧、脈拍、血中酸素濃度、体温、体重を測定。6月1日から4日まで、近隣病院で点滴と診察を行った。この時点では、特別異常なところはなかったという。

〈6月5日に所内診療が行われたが、本人は、所内においても外部においても治療は受けない旨を述べ、医師が勧めた点滴治療を拒否した。ただし、本人は、その時点では、経腸栄養剤及び腹痛薬の処方に対しては服用拒否の意志を示さなかった。(中略)この日の診察の際に測定された本人の体重は61・55キログラムであり、拒食が把握された5月30日の60・45キログラムから若干の回復がみられた。〉

 6月8日以降、ナイジェリア人は日中も横になっている時間帯が多くなった。看守職員が本人を診療室に連れて行こうとしても、「医師と話をしても意味がないので、行かない。」と拒否。14日の夜に看守職員の指導に応じて、経腸栄養剤を一口服用した。

 17日、拒食により全身が衰弱。「水を飲みなさいと言われていることはわかるが、体が受け付けないので飲むことができない。栄養剤も飲むことができない。点滴は受けたくない。」と治療を拒否。この時の体重は50・60キロに。18日以降は、個室でほぼ1日中横になっている状態が続いた。看守職員が毎食配膳の際に摂食、処方薬の服用、点滴を促しても拒否を続けた。ただし、水分は時々摂ったという。20日には、「お湯がほしい」と言い、約200ミリリットルのお湯を個室に置いたそうだ。

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