NHK「なつぞら」最終話で登場する、あの伝説の名作アニメとは?【ネタバレあり】

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 この9月9日、23.8%の最高視聴率を叩き出したNHKの連続テレビ小説「なつぞら」(総合あさ8時~)。シリーズ100作目であることや、歴代ヒロインが続々登場する豪華なキャスティングなどで話題を呼んできた。28日の最終話まで残りあとわずかだが、ここに来て、最終話のあるセリフが注目されているという。

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 実在の女性アニメーター・奥山玲子(1935~2007)がモデルとされるこのドラマ。実はもっとも話題となっているのは、番組で登場するアニメ作品である。奥山が関わった作品を中心に、かつて劇場やテレビで上映・放送されてきた実際の作品をモデルにしているのだ。広瀬すず演じる主人公・奥原なつが入社する「東洋動画」は「東映動画(現・東映アニメーション)」。昭和30年代からの日本のアニメ史を見ているかのように、あのアニメ、このアニメと、名作を髣髴とさせる作品群が登場する。

 たとえばドラマの中でなつが彩色を担当した「白蛇姫」は、昭和33年公開の日本初長編カラーアニメーション映画「白蛇伝」を再現している。その後も「わんぱく王子の大蛇退治」「狼少年ケン」「魔法使いサリー」「タイガーマスク」「デビルマン」を思わせる作品が続いた。

高畑勲と宮崎駿

 さらに、後に「スタジオジブリ」を設立する高畑勲(昭和34年、東映動画入社)、宮崎駿(昭和38年入社)らしき人物も登場し、ドラマは最高潮へ。ふたりは奥山(昭和32年入社)の後輩にあたる。

 さて、その「なつぞら」の最終話。今夏発売されたNHK出版発行のノベライズでは、以下のようになっている。

【状況説明】なつは同じ職場の演出部に勤める夫・坂場一久と娘の優とともに、北海道十勝に帰省している。戦争で両親を亡くしたなつは父の戦友(酪農一家)に引き取られ、高校卒業までここで育ったのだった。兄・咲太郎、妹・千遥とは生き別れとなっていたが、大人になって再会していた(このあたりの設定は実際の奥山の経歴とは異なる)。

 なつは坂場と一緒に、草原の丘の上にいる。遠くには放牧された牛の群れ……。

〈坂場は、「いつか、君たち兄妹の戦争を描いてみたいな」と言った。
「私たちの戦争?」
「うん、過酷な運命に負けずに生きる子どもたちを、リアルにアニメーションで描くことに挑戦してみたい。これは、できるとしたら映画だろうな」
 坂場の夢はおよそ12年後にかなうことになる。もちろん、なつも一緒だ。その映画のタイトルは「夏空」〉

「兄妹の戦争」を描いたアニメ映画

 アニメ映画「夏空」。それは何か?

 このシーンは劇中、「大草原の少女ソラ」の放送が終了した後のエピソードとして描かれている。「ソラ」は昭和50年からNHKで放送された海外ドラマ「大草原の小さな家」がモデルだろうが、同ドラマは実写。アニメとしては、前年の昭和49年、フジテレビ系で放送された「アルプスの少女ハイジ」をイメージしているのは間違いない(ただし「ソラ」の舞台は十勝)。

 劇中の「ソラ」の放映は、実際の「小さな家」「ハイジ」とほぼ同時期。その時点から「およそ12年後」とは、すなわち昭和62~63年ころにあたる。そしてその時期、公開されたアニメ映画が確かにあった。高畑勲監督「火垂るの墓」だ。

 昭和20年の神戸・三宮を描いた「火垂るの墓」は、“焼跡闇市派”の作家を自称した野坂昭如(1930~2015)が昭和42年に発表、翌年、直木賞を受賞した。「なつぞら」同様、戦禍に親を亡くした清太と節子の兄妹が主人公。坂場の台詞にあるように、まさに「兄妹の戦争」を描いている(以下、〈〉内引用は『アメリカひじき・火垂るの墓』)。

 6月5日、神戸はB29、350機による空襲に見舞われた。家も家族も失った兄妹は防空壕で暮らしていたが、節子(4歳)は日に日にやせ衰え、やがて餓死する。清太(14歳)は痩せさらばえた妹の亡骸を、ひとり焼いた。

〈夜更(よふ)けに火が燃えつき、骨を拾うにもくらがりで見当つかず、そのまま穴のかたわらに横たわり、周囲はおびただしい蛍のむれ、だがもう清太は手にとることもせず、これやったら節子さびしないやろ、蛍がついてるもんなあ、上ったり下ったりついと横へ走ったり、もうじき蛍もおらんようになるけど、蛍と一緒に天国へいき〉

 そしてひと月後の9月22日、兄・清太も亡くなる。腹巻きの中、ドロップ缶にしまってあったのは、焼いた節子の骨の欠片(かけら)だった。

「火垂るの墓」にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかった

 昭和20年の夏の出来事を切り取ったこの小説は、野坂の実体験を基にしているという。中学3年の野坂は神戸で空襲に遭い、2歳にも満たない妹を栄養失調で亡くしていた。

〈ぼくはせめて、小説「火垂るの墓」にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想(おも)いを託したのだ〉(同書「解説」)

 映画「火垂るの墓」は昭和63年4月、東宝の配給で全国公開された。「スタジオジブリ」発の3作目にあたり、それまで「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」ではプロデューサーを務めていた高畑勲が初めて監督を担当した。同時上映は宮崎駿監督の「となりのトトロ」だった。ふたつの映画は「スタジオジブリ」で、同時進行で製作された。

「なつぞら」のモデル、奥山が担当したのは「浜辺で母が見守る中、主人公が海で遊ぶという回想シーン」(『漫画映画 漂流記』講談社)だったという。映画には緋色の日傘をさした着物姿の母親が、沖で泳ぐ清太と浜で砂山を作る節子に声を掛ける印象的なシーンがあった。節子と海に身体を洗いに行った清太が、1年前、まだ健在だった母を想い出す場面である。

 奥山は、敗戦で教科書に墨を塗らされた経験を持つという。高畑は転居先の岡山で空襲に遭っている。昭和20年、それぞれの「夏空」があった。

デイリー新潮編集部

2019年9月25日掲載

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