「今ならば間違いなく逮捕できた」、捜査員が嘆息する「柴又・上智大生殺人放火事件」

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 平成8(1996)年9月9日、朝からの雨が激しく降り続いたその日、東京葛飾・柴又の民家から火の手が上がったのは午後4時40分頃だった。近隣からの119番通報で消防が出動、木造モルタルの居宅は全焼したものの午後6時には鎮火した。しかし、一部、床が抜けるほどにまで焼損した、その2階の焼け跡で消防署員が見たものは、粘着テープで縛られた女子大生の遺体だったのである。そして、その日から23年が経った……。

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「八王子スーパー強盗殺人」(平成7年7月)、「世田谷一家4人強盗殺人」(平成12年12月)、そしてこの「柴又・上智大生殺人放火事件」を合わせて、平成の「三大コールド・ケース(未解決凶悪事件)」と巷では総称する。いずれも物証に乏しく、犯人像にすら遠く及ばない。それぞれ、600万円、2千万円、800万円の懸賞金が付き情報提供を呼びかけるも、犯人逮捕に結び付く新たな情報は、残念ながら皆無といってもいいだろう。

 柴又の事件で殺害されたのは、上智大学外国語学部の4年生(21)だった。米国留学を2日後に控え、自宅で一人、荷造りをしていたところ、凶行に襲われた。粘着テープで口を塞がれ両手両足を縛られた遺体は、頸部右側に集中して数カ所の切創があった。凶器は残されていなかったが、傷痕の形状から、刃渡り8センチ程度の小型ナイフ(果物ナイフかペティナイフ)と特定されている。

遺留品は二つ

 当時、取材した記者が、メモを片手にこう語る。

「両手には刃物傷が複数残されていました。これを防御痕(ぼうぎょこん)といい、つまり被害者はナイフで襲われた際、激しく抵抗したことがわかる。火は殺害後につけられ、被害者は下半身に火傷を負っていた。私が当時、引っかかったのは、犯人はどうして被害者が横たわる2階6畳間からもっとも離れた1階の和室に火を放ったかという点。証拠を消すための放火ならば、殺害現場に火をつけるはず」

 遺留品は二つあった。一つは拘束に使用された布製ガムテープだ。静岡県内の工場において製造されたことまで判明しているが、全国に広く流通している商品で、犯人を絞り込める物証にはならなかった。大量物流時代の罪(ざい)、どこにでもある製品はもはや「犯人像」を語らない。以前は商品の流通範囲は小さく、偏っていた。たとえば「ゲソ(足跡)」の紋様から靴製品の製造工場、製造年を割り出し、販売店舗を絞り込み、地域から犯人を炙り出すという時代は終わったのである。

 さて、もう一つの遺留品は「A型の血液」だった。「それは犯人逮捕の決め手になる物証ではないのか」と色めき立つ読者がいるやもしれないが、血液や体液、あるいは毛髪など、それだけでは捜査上何の役にも立ちはしない。DNA鑑定の上、同一人物だと判定される際には決定的な証拠となりえるが、その容疑者が不在とあってはまったくの無価値と言わざるをえない。

「私が娘の身代わりになりたかった──」

 かつて被害者の父親は、取材に対し次のように語っていた(以下、〈〉内引用は『殺人者はそこにいる―逃げ切れない狂気、非情の13事件』より)。

〈誰かが犯行をおかし、今もこの地球上で同じ空気を吸っている。そう思うと、ちょっと人間不信に陥ってしまいますね。できうることなら私が娘の身代わりになりたかったと、今でも思うことがあるんです〉

 このインタビューが行われたのは、事件から3年後の平成11年夏。父親は、膠着した捜査状況を憂い、次のように心境を明かしていたのだった。

〈事件直後はマスコミへの接触も禁じられ、お断りするのが精一杯だったが、今回は前向きに対応しますとお答えした。なぜなら、3年経(た)ってこういう状況になった今、事件が風化してしまうことが遺族にとっては一番辛いんです〉

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 捜査は当初から、怨恨説と行きずり説とに二分された。前出の元記者が解説する。

「が、被害者には暴行の跡もなく、現金も手付かず。同居家族も含め恨まれるような人たちではなかった。今ならばストーカーということになるのでしょうが、その線も早々に消えた。つまり動機すらわからない。犯人がどのような人物なのか、その像が皆目、浮かばなかったのです」

 この事件ではいくつかの目撃情報が得られている。(1)出火直前、傘もささず柴又駅方向に走り去った20~30代の白いシャツの男、(2)午前中から現場付近をうろついていた中年の男、(3)昼ごろ、現場付近で使い捨てライターをいじっていた40歳前後の男……といった具合だが、冷静になって見つめ直せば、「よくある町の一コマ」にしか過ぎない。だが、「これが現在だったら」と嘆くのは、当時の捜査関係者だ。

「聞き込みを捜査の要とした“地どり捜査”は、点となる情報を集め線にして繋げ、犯人に辿り着く。この事件では延べ10万5千人を超える捜査員を投入しましたが、“線”が紡げなかった。これが今ならば、防犯カメラのシステムがある。現場からの逃走経路も含め、追って行けたはずです」

 7月に発生した「京都アニメーション放火殺人事件」でも、カメラの眼は事件前の犯人の姿を克明に捉え続けていた。その能力を遺憾なく発揮した格好だが、今や商店街、駅、公共施設、個人住宅、共同住宅、さらには自動販売機にまで防犯カメラが設置されている時代。また、「あおり運転暴行事件」でも注目されたように、乗用車搭載のドライブレコーダーには歩行者が写り込んでいる。そうした記録媒体に何の痕跡も残さず生活していくのは、もはや不可能とさえ言える。

「現在、警視庁刑事部には捜査支援分析センターが置かれています。ここには常時、100人余の捜査員が詰めている。事件発生後、その近隣から提供された録画資料を借り受け分析、服装や身体の特徴から、特定の人物の行動経路もずっと追尾していくことができます。しかも録画資料は証拠能力も高い」(警察関係者)

 この9月9日、今は更地となった現場跡地で献花式が行われた。73歳となった被害者の父親は次のように語り、情報提供を呼びかけた。

「事件解決が今日か明日かと期待して暮らしている。どんなささいな情報でもいいので、勇気を持って提供してほしい」

 時は残酷にも23年目の秋を告げたのである。

デイリー新潮編集部

2019年9月18日掲載

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