横山やすしと兄弟盃の山口組幹部「食えない芸人のセーフティネットとしての反社」を語る

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一種のしきたり

 雨上がり決死隊の宮迫博之らが特殊詐欺グループから営業のギャランティを受け取っていた件に端を発し、折から芸人と反社という問題がクローズアップされている。竹垣本人はどう見ているのか。

「プロボクサーとか大物芸人とか、まだ生きてるから言われへんけど、竹中組の大幹部のところにお小遣い貰いによう来てました。テーブルで一緒になったらこちらも小遣い渡しますわね、一種のしきたりみたいなもんで。みんな闇営業をやっていたわけです」

 もっとも、

「暴力団排除条例(暴排)ができて、コンプライアンスに基づいて対処するということで、吉本だけやないけど芸能プロダクションは皆やってきた。今は暴力団と接触しないと言ってるわけやから、そこは評価・理解してやるべきやと思います。あと、警察は半グレ対策に力入れないといかん。暴力団が暴排で締め付けられてなかったら半グレが台頭してない部分は確かにある。けれど、もともと暴力団の手先として愚連隊的な組織はあったわけだから、何でも暴排のせいにするのは言い訳に聞こえるね」

 そして、こんなエピソードを披露する。

「売れっ子の芸人とか芸能人から、“反社絡みと思しき人からツーショットをお願いされた時、どうしたら写真撮られずに済みますか?”って聞かれるんです。無視するしかないと答えましたけど、“そんなことできないよなぁ、俺たち”とこぼしてました。それが正直なところなのかもね。それでもシタタカな人間もいてね、半分笑い話なんですけど。私と一緒に写真撮っても、顔があっち向いとる人もいるんよ。私がカタギになって15年くらい経つのに、暴排で何だかんだとうるさいこのご時世やから警戒して証拠にならないようにしとるんやろうね」

 こういった扱いを受けるからだけではなかろうが、竹垣自身、「暴力団の道へ進んだことを後悔している」という。東京の撮影所を辞めた後に若山富三郎と再会した折、「京都でもう一度付き人に」と誘われた。しかし、当時交際していた女性が「京都は嫌」と渋ったのだ。

「今となっては痛恨の極みです」

 そうは言っても、現在、彼はパトロールのために地元の小学校前に立ち、各県警で暴力団対策について講演し、メディア出演をこなし……とかつての稼業が身過ぎ世過ぎに役立っているのだから、人生はわからない。

「映画のタイトルやないけど、義理人情が紙風船みたいになってしもて、味のない世の中になっとる。(東映の俳優でピラニア軍団のひとりだった)志賀勝の曲『道』にこんなセリフがあるんです。“若いうちに恥と尻(ケツ)はなんぼでもかきなはれ けどな義理だけはかいたらあかん 人間汗水流して働いてこそ道はひらけんのとちゃうか”」

 そう口癖のように言う竹垣だからこそ、破天荒な天才漫才師はその最晩年を託すことができたのではないだろうか。(文中一部敬称略)

週刊新潮 2019年8月29日号掲載

特集「『山口組』兄弟分が明かす『それからの「やすし」』」より

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