亡き父は晩年なぜ「ネット右翼」になってしまったのか

政治 2019年7月25日掲載

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古き良き美しいニッポンに対する喪失感

 父がこの世を去って、昔の父を思い出した。そしてそのことで、ようやく彼の気持ちに思いを馳せることが出来たように思う。

 ああ、たぶんこれだろう。

 父の中には、間違いなく大きな喪失感があったと思うのだ。父が喪失したように感じていたのは彼が子どもの頃に過ごしていた、若き日に見ていた「古き良きニッポン」だ。

 シンプルで、みんながちょっとずつ助け合わなくてはやっていけないぐらいにみんなちょっと貧しくて、たまに食べる外食のラーメンがとても贅沢で、仕事のあとに会社の仲間たちと飲む瓶ビールがとても冷えていて、頑張れば頑張っただけきちんとお給料に反映されていた、そんなニッポンを父は愛し、常に懐かしんでいた。

 父と母の住む実家は千葉県内の典型的なベッドタウンだが、毎月父を助手席に乗せて病院に向かう道は、ちょっとバイパス道を外れると車がすれ違うこともできない畦道や森林の中に迷い込む。「ガンが増悪しています」の言葉を主治医から聞くか聞かないか、毎月胃の痛くなるような検査発表の帰り道、父は敢えてそんな小道を走ることを望んだ。

 市街化されていない村落の中で祭られている小さな神社や、思いがけず現れる立派な寺院で車を停めて、季節の草花を見たり、苔むした石碑の碑文に指を這わせるのだ。

 同じように父は東京の路地裏や、小さな飲み屋を愛した。そして同じ空気の流れる台湾の屋台や昆明の夜市もまた愛していた。こうした旅先や、父が青春時代を過ごした目黒区内の地理を話すとき、父はとても饒舌になる。かつて住んでいた友達、かつて通った店、今はない景色、自転車で走り回った道のことを語る父。

 そんな時、痩せて尖っていく父の肩に、忌むべきヘイトジジイの影はなかった。村落の風景から子ども時代に過ごした名古屋の疎開先を、そして転勤の多かった祖父に連れられて過ごしたあちこちの地方の景色を、かつての東京の街を思い起こしていたのだろうと思う。

 その喪失感というか慕情のようなものは、僕にも少し理解のできる感情だ。僕自身は1973年生まれだから、バブル経済突入前の日本の記憶がある。母も父も実家は都心だったから、東京に子ども時代の景色がないことを、寂しく思うことがあるのだ。薄暗い夜の道、水たまりのある隘路や、赤ちょうちんから漂う焼き鳥の香り。古いゲームセンターのドアを開けた途端に身体を包むクーラーの冷気と煙草の煙とPSG音源。不謹慎ながら、東日本大震災後の計画停電で東京都内が薄暗くなった時は、心底ホッとしたものだ。

 もちろん、父が慕情を寄せていた景色と僕の思うものはまた違うだろう。そうしたシンプルだった時代の日本には、人権を認められず差別の対象になってきた多くの社会的弱者の涙があって、未発達な医療が救えなかった小さな命もあって、それこそ人口の半分である女性が自分の人生に自己決定権を持てなかった時代でもある。そんなことを考えると、どっかの為政者が言ってる「美しいニッポン」なんて絶対なかったし、幻想に過ぎないと断言したくなる。

 けれども、父の中では、古き良き美しいニッポンに対する慕情や喪失感は確実にあったのだ。

 その気持ちに思い至って、ようやく腑に落ちた。

 偏向言説者に変節したのちの父の中では、その美しかったニッポンに対する喪失感が、「それは何者かによって奪われた」「何かによって変えられてしまった」という被害者感情に置き換えられていた。その被害者感情こそが、以前の父からは感じられなかったものだったと気づいたとき、僕の中に「父は何者かに利用され、変えられたのだ」という答えが浮き彫りになってきた。

 父は、その胸に抱えていた喪失感を、ビジネスに利用されたのだ。父の歴史を喰い荒らしてくれた輩がいたのだ。

 冷え冷えとしていた心の中に、猛然と怒りの感情が込み上げてきた。

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