ネトウヨとパヨクはなぜ極端なことを言い続けるのか

社会2019年6月4日掲載

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 現実の世界でも極端なことを言う人はいるものの、ネット上ではそういうタイプの人がより活発で目立つ印象を持つ方は少なくないだろう。その代表格とされるのが「ネトウヨ」「パヨク」と呼ばれる人たちだ。言うまでもなく、前者は「ネット右翼」の略称で、後者はその反対側にいる人たち、いわば「ネット左翼」を指す。ただし、自ら「私ネトウヨです」「俺はパヨクだ」などと言うことは滅多になく、蔑称や悪意のあるレッテルとしてもっぱら用いられている。

 それにしてもなぜ彼らは極端なことを言うのか。そしてネット上でやたらと元気なのはなぜなのか。その名も『ネトウヨとパヨク』という著書を刊行したばかりの物江潤さんに寄稿してもらった。

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 2018年5月頃から、私はネット上の「ネトウヨ」「パヨク」と呼ばれる人々と対話を試みていました。先日上梓した『ネトウヨとパヨク』を執筆するための、いわばネット上でのフィールドワークのつもりでした。その頃は仕事と寝る時以外は、全ての時間をネットに費やすという不毛な日々を過ごしていたわけですが、結果としてかなり精神を消耗することになりました。

 というのも、彼らとの対話においては、どれほど丁寧に説明をしたり、相手の言い分に共感を示したりしても、ほとんどの場合で罵倒を含んだ支離滅裂な反論しか返ってこなかったのです。

 バカみたいだと思われるでしょうが、こうした試みは私が彼らについて持つ仮説の検証という意味もありました。私は、ネトウヨやパヨクと呼ばれる人々に通じる共通点は「対話不能」ということではないか、と考えました。この確認作業をするにあたり、私自身が対話のできない人になってはいけないので、内心苛立ちながらも、可能な限り冷静に対話を試みる必要がありました(議論の参加者は完全に自由で平等だと仮定すれば、議論のルールを守れる人に対しネトウヨやパヨクといったレッテルを貼ることは許されないので、対話可能ならばネトウヨやパヨクではないとも言えます)。

 ネトウヨもパヨクも一種の蔑称なので、それぞれ「保守」「リベラル」を自称することが多いようです。保守思想やリベラルといった政治思想に関する古今東西の書籍をそれなりに読みこんでいたという自負もあった私は、そうした知識をベースにすれば、それなりの議論も可能ではないかと淡い期待を持っていました。

 しかし、私が書籍から得た知識を用いることはほぼありませんでした。それ以前の段階で、対話が頓挫するのです。

 例えば、何でもかんでも安倍首相のせいにしたがる方たちがいました。たしかに一国の総理大臣ですから、いろんなことに責任はあるでしょう。しかし安倍首相憎しのあまり、何から何まで安倍首相の責任にしてしまうのはどうかと思います。なかには元TOKIOの山口達也氏の不祥事まで安倍首相に原因を求める方々までいましたが、こうなると対話のしようもありません。

 同様に、何でもかんでも在日韓国人・朝鮮人のせいだと主張する方々にも歯が立ちませんでした。政権に都合の悪い話は全部、彼らの陰謀だと言うので、その根拠を尋ねると、結論を繰り返すか、罵倒が返って来るかでした。

 こうした極端な人のコメントなどは、みなさんもネットの掲示板や、ニュースへのコメントなどでご覧になったことがあるかと思います。そして、どうしてこんなに極端なのか、不思議に思われたのではないでしょうか。

「なぜこんな無茶苦茶な理屈(にもなっていない主張)を繰り返すのだろう」

 常に結論(「安倍のせい」「反日のせい」)しかない人たちへの違和感を抱いたことがある方は多いのではないかと思います。

 なぜなら、こういう人は普通の社会などではあまり相手にされないか、変人扱いされてしまうからです。何かを強く主張し、断言するが、根拠は不明で、それを尋ねられるとキレて罵倒してくる。少なくとも社会人としては問題ありでしょう。

 ところが、こうした方々のこういう性質は、ネット上では逆に強みに転じることがある。そこに気付くと、謎は解けるのです。

 特に140文字という文字数制限のあるツイッターではその逆転現象が顕著にあらわれます。

 本来、論理的に主張をするならば(1)事実(2)その理由(根拠)(3)主張、といった要素が必要になります。しかし140文字しかない場合、それらを明確に記すことはとても難しい。だから論理的な説明を好む人は、ツイッターとは相性が悪いわけです。何度かの投稿に分けることは可能なのですが、そうした長々とした主張は受けが悪い。

 一方で、極端に単純化された断言に近い主張を繰り返す人々にとっては、とても使い勝手が良いのです。むしろ断言のような短い主張こそが、多くのユーザーにリツイートされやすい。だから「○○は××のせいだ」式の乱暴な物言いが幅を利かせるのです。

 もう一つ見逃せないのは、そもそも実社会ではあまり政治的な話は好まれない、ということです。これは私自身、選挙の手伝いをしたことがあるので実感としてよくわかります。誰も聞いていない街頭演説をしている政治家や候補者の姿を一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか。政治的なことに関心が高いことは、あまり好意を持って受け止められないことが多いのです。

 私は、とある選挙事務所でご高齢の男性からいただいた、くしゃくしゃになった手書きの紙を忘れることができません。その紙には、男性が考えた街をよくするための政策がびっしりと書かれていました。候補者に渡してほしいと、選挙スタッフに託されたのです。

 しかし、選挙事務所は猫の手を借りたいほど忙しい。候補者は体力を限界まですり減らしながら、限られた時間をめいっぱい使います。だから、そのくしゃくしゃの紙を、選挙スタッフが候補者に渡す可能性はほとんどありません。現に私も、その紙を候補者に渡せませんでした。

 でも何故だか捨てることができず、今もその紙は、私の部屋に置かれています。人生の大先輩に対し大変失礼な話ではありますが、忙殺される選挙事務所にて、選挙スタッフの時間を大幅に削ぐほど長話をされる方は、やはり歓迎されません。政治に強い思いがあるため、思わず選挙スタッフと長話をされるのだと思います。しかし、皮肉なことにその強い思いのため、邪険に扱われてしまうわけです。

 くしゃくしゃになった紙を見るたびに、表面上は丁重な対応を受けながらも、実のところ邪険に扱われた人生の大先輩と、私自身の振る舞いが思い出され、何とも言えない気持ちになります。政治に強い関心を持ち、何らかの形で実際に行動を起こす人はマイノリティーであり、往々にして共感を得られず孤独になってしまう傾向にあるのだと思います。

 ところが、このように孤独なはずの政治活動も、ネット上では勝手が違うのです。

 ツイッターでは同じような価値観をもった人たちによる島宇宙のようなものが容易に形成されます。巨大掲示板郡の5ちゃんねるをはじめとした他のサービスにおいても、それほど労することなく居場所を見つけることができます。

 しかも、のれんに腕押し的な政治活動とは違い、主張に対する反応は抜群です。島宇宙の人々からは賞賛の声が集まりますし、時々やってくる反対意見をもつユーザーに対しては、島宇宙の人々が援軍となり袋叩きにします。姿かたちが見えないとは言え、頼りになる味方はたくさんいます。 

「強い政治的な主張をもつ、対話のできない人」は、現実社会ではしばしば孤独であり、そのために必ずしも活発な活動ができませんでした。しかし、ネット上に活動の場を移せば、この孤独は解消されます。説得力に乏しい主張(断言)という欠陥に続き、孤独に陥ってしまうという難点も、ネットによって解決できてしまったわけです。

 この居心地の良さに気付いてしまい、そこから抜けられなくなった時に、人はネトウヨやパヨクとよばれる「対話不能な人」になります。ただ、気をつけたいのは、対話不能な人は別にネット上に限らないということでしょう。

 他人の意見に耳を貸さなくなり、自分の考えのみに固執する人は同様です。ネトウヨやパヨクを嗤っている中にも、同じ穴のムジナはいるのです。

物江 潤(ものえ・じゅん)
著述家。1985年福島県生まれ。現在は地元で塾を経営する傍ら、フィールドワークと執筆に取り組む