「ハンセン病」家族訴訟に思う 国立療養所を訪れて知った悲しい現実

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 ハンセン病の元患者の家族らに国家賠償を命じた熊本地裁判決について控訴断念を表明した政府は7月12日に安倍首相が家族へ「お詫び」を含む談話も出す異例の展開となった。首相は家族代表らに直接謝罪する予定だ。全国の元ハンセン病患者の家族561人が「誤った隔離政策で家族の離散などを強いられた」などと、国を相手に一人当たり550万円の損害賠償を求めていた訴訟で6月28日、熊本地裁が国の責任を認めて総額3億7675万円の損害賠償金の支払いを命じていた。

 ハンセン病については、かつて「優生保護」の名目下、不妊手術や断種を強制的に執行された人たちも現在、一部の人たちが名乗り出て訴訟を起こしているが、今回はこうした元患者本人ではない「家族や肉親の苦しみ」に焦点が当たっていた。控訴断念、政府の謝罪のニュースは、首相の思惑が何であれ喜ばしい。ただ筆者は、ある経験からやや別な感慨も持っている。

 20年近く前の一時期、筆者は群馬県吾妻郡草津町にある「栗生楽泉園」という、元ハンセン病患者のための施設をたびたび訪れていた。たまたま、ロシア語を習っていたロシア人男性の先生から、彼が親しくしていた、ここに入所する亡命ロシア貴族の末裔、コンスタンチン・トロチェフ氏(故人)を紹介され親しくなっていた。ここでは割愛するが、数奇な運命のトロチェフ氏の伝記を月刊誌「中央公論」に書いたりした。当時、ハンセン病の問題が大きなニュースになり、ここに入所していた詩人の元患者、谺雄二さん(ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会代表・故人)の取材もしていた。

 さて、同園には、訪ねてくる元患者の家族や知人のための安価な宿泊施設があり助かった。私だけではなく家族で宿泊することもあったが、妻は風呂が男女兼用しかないことに驚き「やっぱり人間扱いしていないんだ」と怒っていたものだ。だが、何度、同園に行っても天理教などの宗教団体が元患者支援の一環で泊まっていたようなことはあっても入所者の家族らしい人が泊まっているのを見たことがなかった。

 疑問に思ったある時、園の職員にそのことを伺った。職員は「身内の方はまず来ませんね。ここに来るのはここで入所者の方が亡くなってのお葬式の時くらいです。ところが葬儀が終わったとたんに身内同士で喧嘩が始まるんですよ」と切り出した。そして「一度も元患者さんの身内に会いにも来たことなどなかった人たちが、亡くなった方の遺産をめぐって怒号の飛び交う喧嘩をするんですよ。それはもう、ひどいもんですわ。見ていて悲しくなりますよ」。これを聞いた筆者は暗澹たる気持ちになった。

 ハンセン病に強い伝染力がないことはとうの昔に判明していても、患者隔離の根拠となった明治以来の差別的な「らい予防法」は1996年にようやく廃止されるまで残った。同法に基づいた隔離措置を「人権無視で憲法違反だ」と元患者が訴えた国賠訴訟は2001年5月、彼らの完全勝訴となる。政府は時の小泉純一郎総理が謝罪談話を発表、翌年には坂口力厚生労働大臣が元患者らに謝罪し、最高裁も謝罪するという、異例の展開を見せた。これで元患者たちは補償金を手にすることになった。とはいえ、既にほとんどが高齢化していた彼らには園外で社会生活を営む力はなく、大半は園内で余生を全うした。栗生楽泉園には簡素な売店や食堂もあるが、そんな地味な生活しかしていないから、補償金を残したまま亡くなってゆく。

 今回の「画期的勝訴判決」の報道。「家族も差別に苦しんだ被害者」ということが中心に描かれる。もちろん多くの場合において真実だ。判決翌日の朝日新聞では“ハンセン病になって隔離された父を疎ましく思い、周囲には死んだと言っていた”と回顧する林力さん(94)の懺悔の言葉が写真入りで紹介されていた。だが、実名登場は例外で原告家族の多くが今も匿名なのだ。

 判決に先立つ6月22日、朝日新聞は「ハンセン病 家族の苦悩」と題し、東北学院大学の黒坂愛衣准教授(社会学)のインタビューを載せた。そこで同紙の記者が「回復者から見ると、家族こそが差別の『加害者』だった、と言う人も多いのではないか、との見方も根強くあります。記者自身も、そういう考えに長くとらわれていました」と彼女に向けている。同准教授は「一連の訴訟で被告とされた国側も、同様の主張をしていました。確かに、冷たくあたった家族がいることは事実ですが、考えるべきなのは、なぜそのような態度をとらざるを得なかったか。それは家族も社会の厳しい差別にさらされ、身を守るため患者を遠ざけざるを得なかったからです」などと答えている。肉親・家族に寄り添った「正論」ではあろう。記者が使った「根強く」という言葉からは「自分がとらわれていた先入観は否定すべきもの」という意識も覗いた。 

 米国女性の文化人類学者、ルース・ベネディクトが名作『菊と刀』において日本を「恥の文化」と表現して久しい。日本人は理不尽な思いをさせられた家族や肉親の幸せより、世間体や体面を重んじるのか。有名な冤罪事件「足利事件」を取材中、菅家利和さんの兄弟は「あの菅家という人はうちには関係ない」と子供に教えて生きてきた、と聞いた。「無実を信じている」という母も一度も刑務所に接見に来てはいない。雪冤時も駆け付けた肉親はいなかった。長期取材した「志布志事件」では無実が証明されたある老男性は公務員の息子に「親父のおかげで恥をかかされ出世もできなかった」と絶縁状態にされたまま、寂しく亡くなったと聞く。これらは報じられない「悲しい現実」だ。ベネディクト女史を引き合いにしたが、外国ならこうした場合どうなのかは浅学にして知らない。

 回復できない「肉親の絆」も国家の誤った隔離政策や誤審が原因ではある。しかし私が栗生楽泉園で聞いた「悲しい現実」。これも日本社会の一断面なのである。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

週刊新潮WEB取材班編集

2019年7月21日掲載

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