川井梨紗子が伊調馨に勝って流した涙、陰で支えた栄和人氏がかけた言葉は…

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「いろんなことが」と泣き出した川井梨紗子

 一方、交代するように会見した川井は、ほとんど笑顔も見せず「頭が真っ白になっていてあまりよく覚えていない」などと試合を振り返った。それでも「(大学で)後輩とやっていた競った形での展開の練習が自然と出せた」とも。最後の場面も「得点のことはわかっていた」と話した。「真っ白」なんかじゃない。実は冷静だったのだ。

 だが、話す川井は途中から目が赤くなってきた。「馨さんに負けてもうレスリングをやめようかとも思ったこともあった。でも周囲の応援が支えになって…」。スタンドでは1989年の世界選手権の代表だった母初枝さんも声をからしていた。

 悪夢は復帰間もない伊調馨と戦った昨年12月の全日本選手権決勝だ。当時も「力もスピードも既に川井が上。伊調は結構タックルに入られる」などと見る協会関係者は多かった。その通り、川井はリードしていたが終了直前、体裁きのうまい伊調にバックを取られまさかの逆転負けを喫したのだ。五輪4連覇は「伊達」ではない。高い防御技術と一瞬を逃さない伊調の勝負勘に屈した川井は茫然自失だった。リオ五輪金メダリスト、昨年の世界チャンピオンのプライドもガラガラと崩れ落ちた。「しばらくマットに上がれない日も続いた」川井は大学のある愛知県を離れて金沢の実家に帰ったりしていたという。

 しかし、「全日本は馨さんを怖がって攻めないで後悔した。もう後悔したくない」という川井は6月の全日本選抜選手権決勝では攻めた。終盤間際に逃げる悪い癖も出て、追いつかれかけたが僅差で逃げ切った。両大会の優勝者が割れたために、この日のプレーオフ決戦となったのだ。

 プレーオフのこの日、川井のセコンドにいた妹の友香子(至學館大学)は試合中、「一緒に世界選手権に行こう」と声をかけたという。62キロ級の友香子は全日本選抜で一足先にカザフ行きを決めていた。姉の梨紗子はリオ五輪では伊調の階級を避けて63キロ級で金メダルを取ったが、「姉妹で東京五輪」を目指すため「妹より自分の方が減量しやすい体質」と階級を落とした結果、伊調馨とぶつかってしまったのだ。

 会見で涙顔に変わってゆく川井は「去年からいろんなことがあって‥」と言葉を振り絞ると感極まって顔をくしゃくしゃにして泣いた。悪夢の敗戦もあるが、「いろんなこと」の一つが慕っていた恩師の至學館大学の監督だった栄和人氏のことだった。教え子の伊調に田南部コーチとの勝手な行動が目立ったため、二人に注意した言動などを「パワハラ」とされた。結果、栄氏はフジテレビを中心にマスコミでバッシングされ、大学の監督や日本レスリング協会の強化本部長の座を失ってしまった。栄氏は「迷惑をかけた」と大学を辞職していたが、今年春ごろから谷岡郁子学長が栄氏を外部コーチとしてマットに戻していた。実は川井梨紗子が自信を取り戻してゆくのは、この頃と軌を一にする。

 この日、栄氏は和光市の会場には来なかった。だが川井は上京直前に大学の道場で、栄氏と二人で技のチェックを一時間以上入念に行っていた。栄氏は「梨紗子の方が絶対強いんだ。負けるはずはない。自信持っていけ。必ず友香子と二人でオリンピックに出るんだぞ」と最後に川井と固く握手をして送り出した。恩師に勇気をもらった川井は、その期待に見事に応えて「絶対王者」「レジェンド」にも臆せず、攻めまくって倒した。次は世界選手権で2連覇だ。かつて伊調馨も姉の千春(五輪二大会銀)と実現していた姉妹五輪出場も夢ではなくなった。伊調馨を倒せる指導者はやはり栄氏だったようだ。表舞台に出ようが出まいが、女子レスリングは今もあの名伯楽が支えている。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

週刊新潮WEB取材班編集

2019年7月9日掲載

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