「ゴジラ」を観て「命」について考えさせられた(中川淳一郎)

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 4~6月にかけ、命が失われる事件・事故が各所で相次ぎましたが、映画「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」を観て「命」について色々考えました。東日本大震災の後、ビートたけしさんが週刊ポストの連載で語っていた言葉が何度も頭に浮かびました。

 犠牲者が2万人になりそうだ、という報を受け、だったら8万人が犠牲になった四川の地震よりはマシだと考えるのは死者への冒涜だと述べ、こう続ける。

〈人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ〉

〈一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が1人死ぬことの方がずっと辛いし、深い傷になる〉

 これを、「ゴジラ」を観ながらずっと考えていたんですよ。主人公は5年前に息子をゴジラに殺されており、ゴジラに恨みを持っている。再びゴジラが世に現れて来たが、なんとしても娘を守りたいと考える。

 まさにたけし氏が言っていることではあるのですが、「命の重み」は、こうした超大作では本当に描きづらい。何しろ主要登場人物以外の命はあくまでもスパイスなのですよ。娯楽作品ですから当然ですし、様々な配慮がちりばめられているのも発見しました。

 ゴジラとキングギドラが大暴れするボストンではすでに人々は避難していることになっていますし、メキシコでラドンが出てきた時も逃げ惑う群衆の中の1人を米軍兵士風の人が助けている。細部に人命の重みを感じさせる表現はあるのですが、数万人と見られる人々が逃げ惑うシーンの登場人物は「その他大勢」「無名」扱い。その後逃げ切れたのか亡くなったのかは分からず、作品の視点は常に「大事な娘の命」に向けられる。

 主人公が政府や軍、巨大生物研究の第一人者と繋がっているからこそ、オスプレイを飛ばして娘の元に向かえるし、軍人も命を賭して協力してくれる。

 87歳の男による4月の池袋暴走事故では母子2名が亡くなりました。あの時、多くの人が「自分事」化をして2人を追悼しました。同時に、男が旧通産省の官僚だったことや、勲章をもらっていたことから「上級国民だから逮捕されない」「上級国民だから『元院長』と肩書で報じられる」などとネットではしきりに書かれました。

 メディアが「彼は逃亡の恐れがない」「負傷しているため、取り調べは無理」「逮捕されていないために『容疑者』と呼べない」などと説明しても「上級国民バッシング」はやみませんでした。

「ゴジラ」を観て、まさに「上級国民」という言葉を思い出しました。主人公の娘はネット用語でいう「上級国民」。全世界で17体もの怪獣が一斉に蜂起し、大暴れをする。一体何億人が死んだんだ? それなのに彼女を助けるために、力を持つ人が即座に動く。いや、こんな意見は無粋です。でも、「命」について考える時たけし氏のような視点は重要ですし、主人公も実際はたけし氏の視点に立っていたことは理解しました。

 ともあれ、映画自体はこれまでのゴジラ作品ではNo.1といっても良いキャラの造形やバトルシーンでした。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。

まんきつ
1975(昭和50)年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。

週刊新潮 2019年6月27日号掲載

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