山口百恵と三浦友和の「婚前密会」をお膳立てした才女の正体

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 令和元年に23回忌を迎えるその女性の墓は、鎌倉の地で梅雨の雨に濡れていた。1980年(昭和55年)の結婚を機に、人気絶頂で引退した歌手の山口百恵と、俳優の三浦友和。ツーショットを捉えようと報道合戦は過熱したが、2人をカメラから遠ざけ密会をお膳立てしたのが、墓に眠る才女だった。

「79年10月に、百恵ちゃんが友和さんとの交際を発表してから、コンサートは超満員。テレビの視聴率も彼女の出演で跳ね上がって、レコードも軒並み大ヒットでしたね」

 とは、平凡出版(現・マガジンハウス)が刊行していた「週刊平凡」元編集者で、作家の塩澤幸登氏である。

「空前の百恵フィーバーが起き、所属事務所のホリプロもレコード会社も、あの手この手で商売をしましたからね。僕らマスコミもそれに合わせ大騒ぎ。好き放題書かれた彼女は我々を嫌い、全社の取材を拒む事態になってしまいました」

 挙式はいつ何処で、花嫁衣裳は……という話題から、彼女と不仲だった実父に関する記事までが巷に溢れた。

「取材窓口になる筈のホリプロも、コントロールが利かず何を報じられてもお手上げ状態。百恵ちゃんからすればそっとしておいて欲しい、という気持ちがあった中で、ガサコさんが彼女の味方になったのです」

 ガサコこと折笠光子氏は、部数100万部を誇った平凡出版の国民的芸能誌「月刊平凡」の名物編集者。細やかな気遣いと才気溢れる取材で芸能人らの信頼を集め、新御三家を始めとする70年代アイドルスター全盛期の仕掛け人と呼ばれた。

 再び塩澤氏が振り返る。

「ガサコさんは芸能人の面倒見がいい。一人の中年女性として、真剣に若い女の子の相談に応じるような人。だから百恵ちゃんに対しても、人生の先輩として、特ダネより彼女の幸せを優先していたんだと思います」

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