岡田有希子自死から33年、今も墓前にファンからの花束

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遺書には24歳年上の俳優への思いが綴られていたといわれる

 岡田の部屋には、便箋2枚の遺書が残されていた。そこには、24歳年上の俳優・峰岸徹への思いが綴られていたといわれる。メディアは彼を追いかけ回したが、峰岸は岡田との男女関係を否定したまま、2008年に帰らぬ人となった。

 福田氏の述懐は続く。

「遺書はご遺族にお渡ししたはずです。事務所でそれを見たのは相沢会長とマネージャーだけ。2人とも亡くなり、もうウチには遺書を見た者はいません」

 岡田の死の理由は、

「彼女が峰岸に恋心を抱いていたのは確かです。でもそれは一方的なもの。ガス栓を捻ったのは、彼の気を引くためだったと思います。ただ、飛び降りは、周囲に迷惑をかけたという自責の念によるものだと思っています」

墓前に花束

 それから33年が過ぎた。

「今も命日には、ファンが事務所の前に花束を置いてくれます。30分のラジオ番組をやっているファンの方もいますよ」(福田氏)

 そのラジオ番組は、「ドットーレ山口のドキドキラジオ’84」で、東海ラジオにて毎週土曜、午前1時から放送されている。自らパーソナリティーを務める山口悟医師に話を聞くと、

「この番組は、16年、没後30年の節目に始めました。岡田有希子だけを扱う番組を作りましょうと東海ラジオに提案したのです。私の病院がスポンサーになり、実現できました。彼女は名古屋の出身で、東海ラジオに番組を持っていたので、その音源も流せます」

 ファンミーティングも開催しているという。

「彼女の誕生日にファンで集まろうと、毎年企画しています。昨年は定員の5倍近い約千名もの応募があり、驚きました」 令和の時代も続くファンの活動を、そして彼女の死を、今家族はどう受け止めているのか。名古屋にある岡田の生家を訪ねると、父親が、

「三十数年間、取材は一切受けていませんので……」

 と言うのみだった。

 先の福田氏によれば、

「命日が来ると、事務所前に置かれた花束を集めて愛知まで運んでくれるファンの方がいます。有希子の墓前に供えるのです」

 儚く短い生涯だったが、彼女はファンの心に永遠に残るアイドルとなった。

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