蒼井優×山里亮太の電撃婚もそうだった!? 映画「愛がなんだ」に描かれる「尽くし型恋愛」の実態

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現実の恋は漫画みたいにキラキラしているわけじゃない

「でも、この映画、今の若い子の間でヒットしてるんですよね? 今の子たちもこんなに鬱々とした恋愛してるの?」と編集者と話し合ったのは、映画を観た翌日のこと。

 この映画の原作は2003年に発表された角田光代の同名の小説だ。当時、私も編集者も20代で原作のテルコとは同年代であり、我々は未だにあの時代の暗い恋愛観を拭い切れていない同士である。村上龍の『ラブ&ポップ』(1996年)が出版されたときに女子高生だったので、10代の頃から恋愛に対して人と人のエゴがぶつかり合う気持ちの悪さを常に感じていた。小沢健二が歌うような「愛し愛されて生きる」なんて世界からは程遠く、椎名林檎は歌舞伎町の女王であり、2000年に成立したのがストーカー規制法で、モラルより欲望が勝つのが世の常だから恋愛なんて異種格闘技戦みたいなものだった。

 だから私たちは、この映画の鬱々とした恋愛観に馴染みがある。例に挙げた友人知人もみな同世代だ。

 あれから15年、昔に比べると大分落ち着いたように思える令和の世において、2000年代の病的な恋愛観が色濃く滲む「愛がなんだ」がこんなにヒットするとは、である。社会が成熟して欲望よりモラルが勝つようになれば、尽くした結果「報われない」のではなく、尽くした結果の「ハッピーエンド」が好まれるようになるんじゃないの?

「企画段階では、普通の片思いをテーマにしたこの作品がここまでヒットするとは思っていませんでした」と言うのは先ほどの増田さんだ。実は「愛がなんだ」を上映するテアトル新宿では、ファンの熱い想いに応え、存分に感想を語ってもらうためのイベントを開催していた。まさかの映画館で本編上映なし、参加費用は映画の通常料金より安く「映画の日」よりは高い1500円で行われたのは、その名も「『愛がなんだ』をひたすら語る夜」である。

「イベントは立ち見も出るほどの大盛況でした。みなさん映画の話はそこそこに、自分の恋愛について語ってらっしゃいましたね。それを聞いて思ったのが、漫画を原作としたようなキラキラした恋愛映画にはお腹いっぱいで、『愛がなんだ』はそうじゃないところが支持されているのかもしれないということ」(増田さん)

 どうやら世の中が落ち着いたように見えていたのは上辺だけだったようだ。今もなお、恋というのはエゴとエゴのぶつかり合い、結局は自分との苦しい戦いということには変わりがないのかもしれない。大っぴらにまともな恋愛以外について話せなくなっただけ今の若者は苦しいのだろうか。

 つまり「尽くす」問題に表れるパワーバランスの偏った不健全な関係は、今も昔も恋愛における普遍的なテーマにもかかわらず、まともじゃない恋愛について大っぴらに話せなくなっただけ今の若者は苦しくなっていた。だからこそ「#愛がなんだ」 のハッシュタグが盛り上がったというわけだ。

 好きな人と唯一無二の恋人同士になれるなんてミラクルは人生においてそんなに起こることじゃない。それどころか好きな気持ちを素直に表現して相手に尽くそうとしたら、利用されたり疎まれたりといった嫌な経験をする人のほうが今も昔も多いのだろう。

 さて映画は、尽くしすぎてハマった泥沼をテルコが思いもよらない方法で解決するところで終わっている。しかも相手を変えることなく、自分の好きな気持ちも諦めることなく、だ。

「心頭滅却すれば火もまた涼し」の心境、沼を沼とも思わない力技の結末に私は目からウロコで、これぞ尽くす恋愛のイノベーションだ! と感動してしまった。もちろん実際にやるのはお勧めできないが。

 愛がなんでも構わない。けれど自分を貫き通すことは、人と愛を交わすことと同じくらい達成感があるのかもしれないと思ったのである。不健全な恋だからダメということも、もちろんないのだから……!

松本愛(まつもと・あい)
東京都生まれ。編集プロダクション勤務を経て独立。美容ライターとして書籍や雑誌・カタログなどの制作を手がけるほか、家庭問題についてのコラムなども書く。趣味は映画鑑賞、漫画・小説などを読んだり、海を見ること。ペットはベンガル猫のあみちゃん。子供2人を育てるシングルマザー。

2019年6月8日掲載

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