蒼井優×山里亮太の電撃婚もそうだった!? 映画「愛がなんだ」に描かれる「尽くし型恋愛」の実態

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つまり、主導権を握っているのは山ちゃんかも!?

 恋に落ちた、でも相手は自分のことを好きではない、好きになってもらいたいから尽くしちゃう。けれど尽くしているうちにわからなくなる、報われたいと思うのはエゴなのか。そもそもなんのために尽くしているのか。愛ってなんだろう。

 気持ちはよく分かる。

 私もどちらかといえば、尽くすほうだ。

 人を好きになるといつもできる限りのことをしてあげたいと思う。「献身」が自分にできるわかりやすい愛のカタチだと思うから。長所はもちろん、一般的に短所と言われるようなわがままや、かっこ悪いところも笑って受け入れ、できる限りその人の存在を肯定したい。

 けれど残念なことに、この「尽くすタイプ」はよく泥沼の恋愛にハマるものである。なぜならば、このスタイルの恋愛をする人は往々にして自己評価が低い傾向にあるからだ。尽くすことが悪いことだとは思わないが、対等な人間関係より尽くすことの方が良いと感じてしまうと、健全な関係は築きにくい。

 まず普通の人は、一方的に尽くされることに居心地の悪さを覚える。相手の居心地の悪さを無視して尽くし続ければ、相手は尽くされているのに、損をしたような複雑な心境になって関係が続かない。

 付き合い出した途端、作り置いたご飯を仕事の休み時間を使って彼氏の冷蔵庫に届けにいくようになった知人がこのケースだ。残念ながらあっという間に振られてしまった。

 一方、尽くされて平気なタイプの人もいる。そういう人の多くは尽くされても尽くされても満足しない。尽くされて当然、もしくは尽くすほどに「足りない」と鬱憤を溜めるので、相手を幸せにしたくて尽くしているはずがちっとも報われない。

 本命の彼女がいるバーテンダーと付き合っていた友人がそう。彼女は状況を受け入れ、2番目に甘んじたうえ、昼夜逆転している彼を明け方まで待つ生活を続けたのに浮気を疑われしょっちゅう詰られていた。二人の交際が続いている間、私は大事な友人が理不尽な目に合わされていることに納得がいかなかったが、尽くす人はこの後者の嫌なタイプに引っかかる率が大変高い。

 今、世間を賑わせているカップルといえば、電撃結婚を発表したばかりの南海キャンディーズの山ちゃんと蒼井優だが、私は、山ちゃんと聞くとどうしても「しくじり先生」で明かされた相方・しずちゃんへの仕打ちを思い出してしまう。しずちゃんのセリフを事前に台本から消したり、共演NGにしたり、意地悪なメールを送ったりといったエピソードはかなり強烈だった。それで蒼井優を心配する私に、友人が「蒼井優は“恋多き”と“尽くす”で有名だよ」というので腑に落ちた。そういうことだ。

 また、見返りなしに尽くすのがかっこいいと頭ではわかっていても、それを貫き通すのも難しい。

 以前、ご飯は割り勘か、もしくは私の家で手料理という付き合いをしていた恋人に、「君とは割り勘で常にフェアな付き合いができるからと気持ちがいい」と褒められたことがある。けれど私は極めて冷静に「外で割り勘、家で私がご飯作ってるんだったら、フェアかフェアじゃないかと言われれば全くフェアじゃない、私の負担の方が大きかろう。っていうか尽くしてるつもりなんだけど」と思ってしまった。尽くしたくて尽くしてるはずが、尽くしていることが伝わっていなかったことに困惑してしまい、どのような心持ちで付き合えば良いか分からなくなって別れてしまった。

 また尽くしすぎて爆発するのもありがちだ。

 浮気相手として尽くしに尽くした男性にあまりにも邪険に扱われてブチ切れた友人は、妊娠したと嘘をついて大暴れし、本命の彼女と別れさせ中絶費用を騙し取ってなんとか気持ちをおさめたという。まさに修羅場である。

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