蟻地獄に堕ちた韓国経済、「日本と通貨スワップを結ぼう」と言い出したご都合主義

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食い逃げした李明博

 図表「通貨スワップを仇で返した韓国」を見れば一目瞭然だ。2008年2月に発足した李明博(イ・ミョンバク)政権はリーマン・ショックや欧州金融市場の動揺による通貨危機が発生するたびに、日本にスワップ枠を拡大してもらい、あるいは期限を延長してもらって乗り切った。

 だが、2011年10月19日に自分の任期末までほぼカバーできる700億ドル の大型スワップに拡大してもらった後は、手のひらを返した。

 竹島に上陸したうえ、「日王は謝りに来い」と要求。問題を解決しようと野田佳彦首相が送った親書の受け取りまで拒否した。通貨スワップを「食い逃げ」したのである。

 次の朴槿恵(パク・クネ)大統領も「食い逃げ」作戦を敢行した。2016年8月27日、日韓財務対話で通貨スワップ再開に向け協議再開で合意。

 すると、12月30日に釜山の日本総領事館前に慰安婦像が設置されても、朴槿恵政権は何の措置もとらなかった。ソウルの日本大使館前の慰安婦像も撤去されないままだった。

 明白な慰安婦合意の違反として日本政府が抗議したが、韓国政府は完全に無視。結局、日本政府は2017年1月6日にスワップ再開協議の中止などの対抗措置を宣言した。

おだてに弱い日本の政治家と役人

 2度も騙された日本が今回も騙されるとは考えにくい。しかも文在寅政権は、慰安婦合意の事実上の破棄、日韓国交正常化協定を踏みにじる「徴用工」判決、日本の哨戒機に対する射撃管制レーダーの照射など、過去の政権に輪をかけた「卑日」を繰り返している。

 それなのに韓国では「日本にドルを持ってこさせればよい」との意見がいまだに語られる。イ・チョルホ記者だけではない。「日本の政治家や役人はおだてに弱い。最後はスワップに応じるはずだ」と語る日本通の韓国人がけっこういる。

 そういえば、スワップ協議再開を中断した直後の2017年1月11日、中央日報・日本語版に興味深い記事が載った。中央日報系のテレビ局JTBCのチョ・ミンクン経済産業部次長が書いた「韓国が厄介な隣国と生きていく姿勢」だ。要旨は以下だ。

●慰安婦像を口実に日本がスワップ再開協議を中断したのは偏狭な行為だ。「そんな日本と手を組むな」との批判も多い。だが、国際金融市場に暴風が予告されている今、すべての手段を動員し最大の防壁を築くべきである。

●韓国と日本の財務官僚は毎年、サッカーの親善試合を開く。両国関係が悪い時も、それは開かれた。親善試合とはいえ、激しい自尊心競争は他の韓日国家対抗戦に劣らない。

●昨年の最大の功労者は試合前日の酒宴で「論介(ロンゲ)戦術」を駆使し、日本のエース級選手に大酒を飲ませた幹部だった。

●初日の試合では「1-0」で韓国が勝った。翌日の試合で韓国は補欠級の選手を出し「0-1」で日本に勝ちを譲った。厄介な隣国と生きて行くとはこういうことだ。

キーセン作戦が奏功

 サッカーで1勝を譲って日本の財務官僚をおだててやれば、通貨スワップだって引き出せる、と韓国の財務官僚は記者に誇ったのだ。なお、この記事には韓国人にしか分からないであろう暗喩もある。「論介戦術」である。

「論介」とは妓生(キーセン)の名前だ。文禄・慶長の役の際、宴席でかしづくフリをしながら日本の武将に抱きつき、ともに川に落ちたとされる。

 この記事を読んだ韓国人読者の多くが「キーセン・パーティをしてやれば、日本の役人など言うことを聞く」と思ったことであろう。

鈴置高史(すずおき・たかぶみ)
韓国観察者。1954年(昭和29年)愛知県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。日本経済新聞社でソウル、香港特派員、経済解説部長などを歴任。95〜96年にハーバード大学国際問題研究所で研究員、2006年にイースト・ウエスト・センター(ハワイ)でジェファーソン・プログラム・フェローを務める。18年3月に退社。著書に『米韓同盟消滅』(新潮新書)、近未来小説『朝鮮半島201Z年』(日本経済新聞出版社)など。2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。

週刊新潮WEB取材班編集

2019年5月21日掲載

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