フジ「遠藤龍之介」新社長が語った父・遠藤周作 就職決定時の忘れられない言葉

エンタメ 週刊新潮 2013年4月11日号初出/2019年5月21日掲載

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 5月15日、フジテレビは役員会で、遠藤龍之介専務(62)の新社長就任を決めた。6月下旬の株主総会で正式決定する。既に報じられている通り、遠藤新社長は、作家・遠藤周作を父にもつ。生誕90周年にあたる2013年、当時常務だった遠藤新社長は「週刊新潮」の取材に応じ、知られざる父と子の物語を明かした。(以下は13年4月11日号掲載のもの)

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 父はサラリーマンではないので、いつも家にいてものを書いていました。たまに煮詰まるのでしょうね。あれは私が2、3歳の頃でしょうか、ある日、母の留守中、突然僕のところに画用紙とクレヨンを持ってきて“絵を描いてやる”と言う。見ていると黒いクレヨンでまず2階建ての家を描く。2階には子供が一人いる。“太郎君は今一人でお留守番をしています”と父は言うので、“僕と一緒だ。僕も今日はお留守番だもん”と応じると、父は“そうだね。同じだね”と言いながら今度は赤いクレヨンを持って、家が燃える絵を描く“家は火事になってしまいました。お父さん、お母さんは助けにいけず、太郎君は哀れ、死んでしまいました”などと言うものですから、僕は泣くわけですよ。それを見た父は満足げに書斎に戻っていく。それが最初の記憶です。

 小学校に入った頃、こんなこともありました。朝食で秋刀魚の塩焼きを食べていると、父が“龍之介、お前が食べた秋刀魚の中に、実は釣り針が入っている”と言い出したのです。僕は怖くなって“お父さん、釣り針が体の中に入るとどうなるの?”と尋ねると、“今、釣り針はお前の血管を通っている。いずれ心臓に届いて死んでしまうのだ”。父親にそんなことを言われれば普通はびっくりして泣きますよね(笑)。

 好奇心の強い人でもありました。私が高校生の頃のことです。どこかで手品を習ってきて、家族の前で披露するのです。元々手先が器用な人ではないので、見ているとタネが分かってしまう。でも本人は必死でやっているから、気がつかない振りをして、私と母は驚いた真似をする。それが暗黙のルールでした。

 手品はびっくりしてあげれば良かったのですが、そのうち催眠術に凝り始めました。家に帰ってくると、僕に催眠術を掛けてくるわけです。“お前は段々眠くなる”と。例の暗黙のルールにのっとって掛かった振りをするのですが、すると今度は“お前の体は今や鉄板のように硬くなって、何を落されても全く痛みを感じない”と言って、いきなり体の上にテレビをバーンと乗っけられ、悶絶したこともあります。色々ありましたが、家族を退屈させないということでは人後に落ちない父親だったと思います。

 でも、仕事をしている時は近寄りがたい雰囲気のある人でした。私が小さい時、父は夜に仕事をしていました。夜の10時、11時から仕事を始めて、朝の5時、6時頃まで書き続けるスタイル。それが50歳近くになると、健康のこともあったのでしょう。朝起きて、普通のサラリーマンのように午前10時くらいから仕事を始めて、夕方の6時ぐらいまでやっていました。

 自宅の2階は全て父のフロアで、そのエリアには余程のことがない限り、私の方から近づくことはありませんでした。きっと子供心に、普段、私に見せない顔で机に向っている姿を見るのが恐がったのでしょうね。

 そんな風に息子とのシリアスな人間関係を心のどこかで父は避けていたのかもしれませんが、小学生になった頃でしょうか、初めて父から「教育」じみた言葉がありました。ある日、部屋に呼ばれて約束させられたのは“嘘をつくな。卑怯なマネをするな。弱いものには優しくしろ”の3つです。“この3つを守れば、後は何をしてもいい”と言われましたが、子供ですから嘘をつくこともあり、その時は、普段怒らない父に叱られることもありましたね。

 しかし、成績のことで叱られることはありませんでした。母親の方は通信簿を見て、“算数の勉強をしなさい”などと小言を言うのですが、父は逆で“こんな成績で威張るな。大学受験で浪人した俺はもっと成績が悪かったんだぞ”と言ってくれました。私のプレッシャーをそういうユーモアで軽減してくれたのです。

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