「勝手に」決められたダサい新紙幣…(古市憲寿)

社会週刊新潮 2019年5月2・9日号掲載

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 2024年に刷新される紙幣のイメージが公開された。これが信じられないほどダサい。フォトジェニックでない肖像画、格好悪いフォント、まぬけなレイアウトなど、無数にケチをつけられるデザインなのだ。

 しかも気にくわないのは、それが「勝手に」決められたことである。もちろん違法ではない。これまでも、紙幣の肖像やデザインに関しては、国が「勝手に」決めてきた。それで法的には何の瑕疵(かし)もないのだろう。

 しかしここでオリンピックの例を思い出してみたい。2020年に東京で開催されるオリンピックでは、大々的にエンブレムの公募が行われた。結果、国を巻き込む炎上騒ぎになったが、それは悪いことばかりでもなかったと思う。

 なぜなら炎上は民主主義が可視化される時の一つの形だから。少なくともあの騒動によって、この国の多くの人がエンブレムに興味を持ち、何らかの議論を交わしたはずだ。こうした議論こそが、民主主義の重要な一要素と言える。

 新元号はさすがに公募というわけではなかったが、複数の案は民間の専門家から提出され、きちんと有識者会議にも諮られた。ただ、オリンピックに比べるとあまりにも形式的ではある。「有識者」はおじさんばかりで女性は2名しかいなかった。それでも一応は「国民の声を聞きましたよ」という体(てい)をとったわけである。

 それなのに、新紙幣に関しては、ただ決定事項が国から伝えられた。肖像はそれぞれ1万円札は渋沢栄一、5千円札は津田梅子、千円札は北里柴三郎になるという。彼らが立派な人物であることに疑いはないが、他にも候補はたくさんいる。

 そもそも、必ずしも紙幣に肖像が必要というわけでもないだろう。たとえばノルウェーの紙幣は、表(おもて)面が魚や帆船といった、同国を象徴するイラスト、裏面がモザイクの抽象画である。ユーロ導入前のフランス紙幣には『星の王子さま』の王子があしらわれていた。

 日本には見るべき自然の他に、文化財やキャラクターもたくさんある。ピカチュウやドラえもんが候補に挙がってもいいはずだ。さすがにゲームやマンガが新しすぎるというなら、評価の定まっている仏像を採用してもいい。

 2020年から発行される新パスポートは表紙こそダサいままである。しかしスタンプが押される査証欄には、ページごとに「富嶽三十六景」からの異なる絵柄が印刷されるという。一応、有識者会議も開かれている。

 新元号が発表された瞬間やオリンピックのエンブレムが炎上していた間は、この国に何らかの一体感が生まれていたと思う。その一体感自体が危険で不必要なものだという考え方もあるが、「勝手に」ダサい紙幣を押しつけられるよりはマシだと思う。もっと公募でも何でもしたらよかったのに。

 否が応でもキャッシュレス化は進んでいくだろう。そんな時代に現金はますます象徴的な意味が強くなる。だからこそ紙幣はもっとスタイリッシュなものであってもいいと思うのだ。ダメ?

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。