香川照之と父・市川猿翁「二度と会わない」から20年後の親子和解

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蘇生したのです

 ハイライトである父親の言葉は、こう書き起こされている。

〈ぼくはあなたのお母さんと別れた時から、自らの分野と価値を確立していく確固たる生き方を具現させました。すなわち私が家庭と訣別した瞬間から、私は蘇生したのです。だから、今のぼくとあなたとは何の関わりもない。あなたは息子ではありません。したがって、ぼくはあなたの父でもない。マスコミに、猿之助が父だとか、彼に会いたいとか言わないほうがよいでしょう。今後あなたとは二度と会わないけれど、そのことをよく心に刻んでおきなさい。何ものにも頼らず、少しでも自分自身で精進して、一人前の人間になっていきなさい〉

 それから13年経って、今度は浜が同じく婦人公論の04年7月号に登場し、こう語っている。

〈あの手記を読みました、泣きながら。ほんとに泣きました。(中略)ひどい父親だと思いました。(中略)「僕はあなたの父ではない。今後、二度と会わないでしょう」なんて……。間違いなくあの人の子どもなのに、普通、そんなこと言わないでしょう〉

「蘇生した」「二度と会わない」とまで実の息子に宣告した猿之助は、藤間紫と2000年に入籍。そして03年に脳梗塞で倒れた。他方、香川に長男が生まれたのは04年。紫は2人の関係修復に腐心するようになる。

 紫は09年3月に亡くなったが、それまでの彼女の働きかけが襲名披露という形で実を結んだのが、11年9月のことである。猿之助が猿翁を名乗ると同時に、香川が九代目市川中車、彼の長男・政明が五代目市川團子(だんこ)として、それぞれ歌舞伎界入りすることが発表されたのだ。新・猿翁は席上、脳梗塞でままならぬ口から、

「浜さんありがとう、恩讐の彼方に」

 と絞り出した。

「ここまで息子を育ててくれた浜木綿子への感謝の気持ちということですね」

 と、関係者が述懐する。

「親子和解のきっかけは、息子を歌舞伎界に入れたいという香川の熱意があったからでしょう。それは、猿翁が藤間紫を亡くして気落ちしていた時期に重なっています。襲名披露の後は猿翁が香川に稽古をつけ、舞台で共演を果たしてきました。パーキンソン病を発症していた猿翁には身の回りの世話をしてくれる女性がいたのですが、今は既に去り、ヘルパーさんに自宅で面倒を見てもらっているようです。香川は猿翁の近くのマンションに住み、時折サポートのために訪れていると聞いています」

 脚本家・橋田壽賀子は、こんな見方をする。

「香川さんが中車を襲名した時に、浜さんから私宛てに襲名記念の贈り物が届いたんです。息子さんをきちんと祝福されて、立派な方だなあと思いました。香川さんを育てたのは浜さんじゃないですか? 浜さんは紫さんに夫を取られて、そのうえ、息子まで取られた感じがしたはずなのに……。素晴らしいと思ったものです」

(文中一部敬称略)

週刊新潮 2019年4月25日号掲載

特集「『貴乃花』家族和解でひもとく有名人『骨肉の争い』」より

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