トンデモ韓国人に軍艦島の元住民が激怒、日本への憎悪を煽る荒唐無稽な言動とは

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名簿になかったグ氏

 2019年2月4日、元島民の方々にご参集いただき、皆さんに写真や映像も再確認していただいた。グ氏は映像でも書籍でも「1939年に9歳で端島に来て、6年間住み、成績優秀で学校で級長だった」と話している。集会には来られない方にも事前に資料をお送りし、同級生や先輩後輩にも確認をしていただいた。会に参加された方も、参加できなかった方も、誰もグ氏の名前も顔も覚えておらず、その存在すら知らないという。

 島内に小学校は一つしかなく、戦時中は1学年が1クラスで構成され、5、60名の生徒数がいた。先輩後輩も一緒に遊び、「たばこを1本吸う間に島内を1周できる」とも言われるほどの小さなコミュニティーである。六年間も端島で暮らし、級長までしているのに、元島民の誰も知らないというのは実に奇妙なことである。加地英夫氏(「長崎端島会」会長)からご提供いただいた、明治27年から昭和22年までの端島小学校の卒業生リスト「端島校同窓会名簿」(昭和25年出版)も確認した。

 そこには、加地氏のお話に幾度も登場した郭山龍守さんの他、坪内氏が話す金、李、張さん等、朝鮮半島出身者と思われる名前がいくつもあった。しかし、どの学年の名簿にもグ氏の名前は見つからない。その場にいた元島民たちがとうとう口にした。

「このグ・ヨンチョルさんは本当に端島に住んでいたんだろうか」

「なりすましではないのか」

 集会には筆者の友人で新聞社のM氏も参席していた。グ氏について感想を求めると、

「どちらも嘘じゃない、やっぱりそこに真実があると思うんですよね。皆さんが言っていることも真実だと思いますし、徴用工の方たちが証言していることの中にも真実があると思います。ただそれをどう判断していくか、一方の主張だけが出回っていくのではなくて、今までに黙殺されてきた皆さんのお話っていうものも重要だと思いますので、そのあたりはですね、きちんと報道していけたらなと思っております」

 と、当たり障りのない返答であった。

 3時間以上議論しても信じてもらえないもどかしさに元島民たちが一瞬言葉を失ったその時である。端島で生まれ、戦時中の端島で少年時代を過ごした在日韓国人の鈴木文雄氏がマイクをとった。

「(居住歴がある)実在している人の自分の体験談とかであれば、それは親身になって聞かないといけないでしょう。グ・ヨンチョル氏の場合は(居住歴に関して)実在に疑問がある訳ですから、抽象的なことを色々と述べている訳ですけれども、それに対して彼の意見を尊重するというのは、まずあり得ないと思うのです」

 鈴木氏の両親は慶尚南道の出身で、父親は坑内で伍長として働いていた。氏は当時を次のように振り返る。

「戦時中に端島ではひどい目におうたねっていうような話なんか、全然聞いてないです。もう周囲の方たちも、皆、いい人でね。そんな悪い、負のイメージありませんしね。地獄で、殴られるリンチが多い、そういうような本当に地獄の島だったらそういう姿を見せるために(家族は)まず呼ばんでしょうね」

 会に集まった人は皆、グ氏について同じ事を考えていたようだった。加地氏は、「これはもう端島を知らない人が想像で書いたと思うんです」と言い、松本氏は「何か組織がかったものがあると。グ・ヨンチョルさんそのものは、(組織に)利用されとる。そういう感じを受けました」とまで話していた。

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