大人気「チコちゃん」1周年 名物プロデューサーが語った番組制作の“極意”

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ネタより語り口

「チコちゃん」というキャラクターの原点は、「鶴瓶と慎吾、平成日本のよふけ」(99~01年)に登場した「赤さん」だ。

「赤ちゃんなのに葉巻をくわえているという、今では放送不可能なキャラクターです(笑)。声も同じ木村祐一さん(56)に担当してもらいました。設定上は子供でも大人が声を演じ、共演者をとっちめるという構図は、この頃からあったわけです。このように様々な番組制作の経験が僕の体内に蓄積、発酵というよりはドブみたいに溜まって(笑)、新しい企画案という形になって出てくるんだと思っています」

 ネット上などで「チコちゃん」は、「トリビアの泉~素晴らしきムダ知識~」(03~06年)との類似を指摘されることが多い。だが小松氏は「そもそも『トリビア』は、自分の番組という意識がありません」と言う。

「企画の立ち上げには関与しましたが、その後は若いディレクターたちが中心になって形にしました。僕は全く現場で汗をかいていません。もちろん共通点もあります。『へぇ』という形にはこだわりましたしね。そしてトリビアが“へぇ”なら、チコちゃんは“気づき”の番組です。共に『知っているはずのことを知らないですよね』と指摘し、その意外性を視聴者の皆さんに体感していただく。更に体感のプロセスには、相当こだわる。これが僕の番組制作におけるパターンの1つかなと思うことはあります」

 しかし、重要な違いもある。「へぇ」は、ある意味で他人事だ。だが「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られれば、視聴者は自分事として認識する。それだけ視聴者の心に突き刺さるとも言えるわけだ。

「僕は当時、脇から『トリビア』の現場を見ていましたが、ネタには苦労していました。なのでディレクターたちに、『もっと楽に作ったら?』と言い続けていたんです。例えば、外国語で音の響きが珍しかったり、非常に長かったりする単語があるとしましょう。自分ならネイティブの人たちがその単語を喋るのを撮影して、それを面白がるだけで成立すると考える。でも現場のディレクターは、自分たちの作り方にこだわって、そうしませんでした。それはそれで歓迎すべきことなので、無理矢理にやれとは言わなかったです」

 こうした「トリビア」での体験は、やはり小松氏には貴重な収穫になったようだ。「チコちゃん」の企画を練り上げる際、「ネタ切れ対策」と「苦労せずに番組制作が可能」という2点は、こだわり抜いた。

「僕は『チコちゃん』の会議で、『この番組は、コップでも、名刺でも、マイクでも、どんなネタでも扱えるようにならなければならない』と常に呼びかけています。『人と別れる時に手を振るのはなぜ?』というように、僕たちが知らないことなら何でもいい。注力すべきはネタの選別ではなく、語り口のバリエーションなのです」

 ある時は取材に力を入れ、NHKの豊富なアーカイブ映像を使って真面目に仕上げることもある。別の時は『NHKたぶんこうだったんじゃないか劇場』で、鶴見辰吾(54)や劇団「そとばこまち」で苦楽を共にした山西惇の演技で笑いを取ることもある。

 2月22日に放送された「なぜニワトリは首を前後に振りながら歩く」では、「目が横についているから」が答えだが、正解の面白さは単なる導入に過ぎない。

 番組として本当に面白くなるのは、ディレクターの苦闘が映し出されてからだ。同じNHKの「ダーウィンが来た~生きもの新伝説~」(日曜19:30~20:00)のVTRを“悪用”しては叱られ、パントマイムの教室でニワトリの歩行を再現する場面が爆笑を誘う――。これこそが小松プロデューサーがこだわる“語り口のバリエーション”だ。つまり、面白がり方のパターンは無数にあるということを、視聴者に提示するわけだ。

「語り口のバリエーションを増やしていくと、SNSなどで『ネタ切れか?』と揶揄されますが、実は逆なんです。語り口が豊富だと、どんなネタでも放送できるようになる。ディレクターたちが持ってくるネタを見ても、『あれもできる、これもできる』というものばかりです。実は視聴者の皆さんもネタを送ってくださっていて、これも大量にストックしています。私も一部に目を通しましたけど、ほぼ全てが番組で使えるものばかりでした」

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