大人気「チコちゃん」1周年 名物プロデューサーが語った番組制作の“極意”

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「笑っていいとも」が原点!?

「チコちゃんに叱られる!」(NHK総合・金曜19:57~20:42)の本放送が始まったのは2018年4月7日。そう、今日で1周年を迎えたのだ。

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 正確に言えば、2017年の3月、8月、12月にパイロット版が放送。18年の4月7日は土曜で、「祝・レギュラー放送!直前SP」と題してオンエアされた。そのため、毎週金曜の本放送は4月13日から始まったと定義することも可能だ。

 いずれにしても、今や国民的な人気番組と表現しても、決して大げさではないだろう。ビデオリサーチの視聴率調査(3月18日~24日、関東地区)における「その他の娯楽番組」を見れば、23日土曜の再放送が18.0%でカテゴリートップ、22日金曜の本放送が14.3%で同7位。多くの支持を集めているのは一目瞭然だ。

 番組のプロデューサーである小松純也氏(52)に1周年の感想を訊くと、「想定を遙かに超えた好評に、驚きや戸惑いという言葉が浮かびます」と微笑を浮かべる。

「僕はフジテレビの『SMAP×SMAP』でディレクターもプロデューサーも担当しました。ご存知の通り、国民的な大スターが出演して視聴率を取るという番組でした。一方の『チコちゃん』は、番組の企画自体を視聴者の皆さんが愛してくださっている。僕のテレビマンとしての30年以上のキャリアでも、そうそうある経験ではないです」

 突然「フジテレビ」という社名が飛びだし、「えっ!?」と思った方もおられるだろう。実は小松氏がテレビマンとしてのキャリアをスタートさせたのは、NHKではなくフジテレビである。

 そもそも大学時代からテレビ業界と深い縁があった。京都大学に進学すると、劇団「そとばこまち」に参加。生瀬勝久(58)、山西惇(56)らと中心メンバーとして活躍し、劇団で戯曲を執筆するだけでなく、放送作家としても才能を発揮した。

 そして大学を卒業すると、フジに入社。一貫してバラエティ畑を歩み、「笑っていいとも!」、「ダウンタウンのごっつええ感じ」、「笑う犬の生活」などの人気番組の演出を担当し、特に90年代はコントの得意なディレクターとしてテレビ界に名を轟かせた。

 その後は管理職として番組を統括する立場に就くが、現場へのこだわりも強く、15年にフジの子会社である制作会社・共同テレビジョンに出向する。

 制作会社に席を置くということは、民放キー局だけでなく、NHKやローカル局を含めた、あらゆる会社との仕事が可能になったことを意味する。

 業界で「小松氏が11年ぶりに総合演出を担当」と話題になった番組は、地上波で放映されたものではない。Amazonプライム・ビデオが16年にネットで有料配信した「HITOSHI MATSUMOTO presents ドキュメンタル」だった。

「チコちゃん」もNHK本体ではなく、子会社のNHKエンタープライズが制作を担当。そこに共同テレビジョンなどが参画しているようだ。

 小松氏が「チコちゃん」を手がけるようになったのは、NHKのプロデューサー、水高満氏(51)と会食していた際、「5歳児の女の子にクイズを出され、知らないと『ボーッと生きてんじゃねえよ!』としかられる番組をやりたい」と提案したのが原点とされている。

 ならば、企画が浮かんだ“原点”を改めて質問させてもらうと、「企画は、日々の積み重ねの中から、体の中から浮かぶもので、特別な日に閃いたというようなものではないです」という答えが返ってきた。

「という答えでは面白くないでしょうから(笑)、振り返ってみると、例えば96年に『笑っていいとも!』で、『君たちは漫然と生きていないか?』というコーナーを企画して演出しました。『信号の色を右から言いなさい』とか『東の反対は何て言う?』とか、正解して当たり前というクイズを100問用意し、レギュラー陣に出題しました。全問正解で賞品はアメリカ旅行でしたが、皆さんどこかで間違えてしまう。その意外な面白さを狙ったものでした」

 しかし事前の予測に反し、全問正解者が出てしまう。「多忙な方たちだから、賞品は辞退するだろう」と睨んでいたが、それも大外れ。アメリカ旅行を手配しなければならなくなるのだが、運悪くアトランタ五輪の開催中だったため旅費が高騰。プロデューサーに大目玉を食らい、コーナーも強制終了させられたという苦い記憶があるという。

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